F1の伝説・モナコGP
日本で不死鳥というと、美空ひばりがさんがあげられるが、
世界ではニキ・ラウダ氏が有名ですね。
往年のモータースポーツファンなら知らない人はいないでしょう。
そのラウダ氏が5月20日、70歳の若さで亡くなった。
ラウダは、これまで3度のF1チャンピオンを獲得しました。
彗星のごとく現れ、瞬く間にトップチームであるフェラーリのドライバーになり、
1975年に初のワールドチャンピオンを獲得する。
すると、1977年にも王者となる。
しかし、全盛期のラウダに突如、不幸が襲い掛かる。
1976年ドイツGP。
ラウダは大クラッシュを喫し、マシンが炎上。
燃え上がるラウダのマシンに次々と後続車が追突。
ラウダは大火傷を負い、生命の危機に瀕してしまう。
選手生命はおろか、死すら覚悟していたが、奇跡的に回復し、
わずか6週間でグランプリシーンに復帰する。
そして、マクラーレンチームに移籍し1984年にタイトルを獲得するという
とんでもないエピソードを持つ。
そんな訃報がもたらされたその週末の5月28日、伝統のモナコGPが開催された。
ラウダがF1マシンを駆っていた頃と比べると、現代のマシンは、車軸も狭く、
タイヤも小さく、エンジンサウンドも迫力がなく、スケールが小さくなったのが、
コンピュータシステムによる電子制御と空気力学が詰め込まれた、最新マシンの性能は、当時と比較すると雲泥の差がある。
そんな最新のモンスターマシンを、世界中の選ばれし、いかにも現代っ子的な若者が
いとも簡単に操り、異次元の世界でバトルを繰り広げている。
ラウダが現役だったころとは大違いである。
しかし、舞台はモナコである。
モナコ公国の一般道を使用するという、独特な世界的にもまれにみるサーキットで
は毎年ドラマがあり、歴戦の積み重ねによって、伝統と格式が積み上げられている。
日本では京都のようにな歴史に裏付けされた、だれにも真似のできない深みのある町である。
そんなモナコで今年もGPが開催され、その伝統に触れるべく、多くの観光客が
訪れる。観光立国を目指す日本のお手本にすべきヒントがモナコにはあるのでは
ないだろうか。
ちなみに、現役引退後のラウダは、2012年からメルセデスF1チームのノンエグゼクティブチェアマンに就任し、チームのタイトル5連覇を支えた。
そのラウダのひぞっこである、ルイス・ハミルトンが優勝し、歓声をを受けながら、
今回の勝利を天国のラウダに捧げた。
今年もドラマに満ち溢れたモナコGPだった。