リョウガのページ

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うつ病気に対する対処法 科学的 精神的 の2通りある。

 


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うつ病気に対する対処法は、いろいろありますが、科学的、精神的、に考えるにあたって、今回は精神的に見てみたいと思います。 

うつ病患者は、物事がいやになってすべてを否定しますね。これは、脳にある扁桃体が何らかの影響によって、不安要素を増大し、暴走し始めるからです。反面、喜びもこの扁桃体から発せられるのですが、ベータエンドルフィンという脳内モルヒネが出にくくなってきているんですね。

これは、一つは物の考え方、外部からの刺激の受け方、良い仲間、良いい行動から成り立っています。

これは、最終的に「生きる意味」に繋がります。

生きる意味とは、なんでしょうか?なんか、宗教じみてきましたが、これは本当にうつ病患者さんにとってはとても重要なことで、ある程度意識して見ることを進めます。

 

では、「生きる意味について語って」いきましょう。

人生の目的


人間には、 戦争、殺人、自殺、暴力、虐待などは、「生きる意味があるのか」「苦しくとも、生きねばならぬ理由は何か」必死に求めても知り得ぬ、深い闇へのいらだちが、 生み出す悲劇とは言えるかもしれません。


 たとえば少年法を改正しても、罪の意識のない少年にどれだけの効果を期待しうるか、と懸念されるように、これら諸問題の根底にある「生命の尊厳」、「人生の目的」が鮮明にされないかぎり、どんな対策も水面に描いた絵に終わるでしょう。「人生に目的はあるのか、ないのか」「生きる意味は何なのか」人類は今も、この深い闇の中にあります。どこにも明答を聞けぬ中、人生の目的を明示し、その達成を勧められたらどんなにいいか。
「万人共通の生きる目的は、苦悩の根元を破り、“よくぞこの世に生まれたものぞ”と生命の大歓喜を得て、永遠の幸福に生かされることである。どんなに苦しくとも、 この目的果たすまでは生き抜きなさい」と宗教(仏教)は説いています。
 まさしく人類の迷闇を破る、世界の光というにふさわしい。悲しい誤解の一つをあげれば、「平生業成」という言葉がありました。
 「平生業成」とは、すべてを漢字4字であらわした、いわば一枚看板とされている言葉です。「平生」とは「現在」のこと。
 人生の目的を「業」という字であらわし、完成の「成」と合わせて「業成」といわれます。「平生業成」とは、まさしく、人生の目的が現在に完成する、ということです。
 特色が「平生業成」といわれるのは、人生の目的と、その完成のあることを強調するからです。
 
 はたして人生の目的は、あるのか、ないのか。
 ちょっと考えてみましょう。
 
 ◎ どんな行動にも目的があります。人生にも……
 
 どんな行動にも目的があります。たとえば、タクシーに乗った時。いかに無口な人でも、まず行く先を告げるでしょう。目的地がわからなければ、どこへ走ればよいか困るりますよね。
 むやみに車を走らせたら、時間とお金が無駄になるだけです。


 「なんで勉強しているの?」と聞かれたら、「明日、試験があるから」「資格を取るため」などと答えるでしょう。
 「どこへ行くの?」と聞かれれば、「買い物」「気分転換に散歩」と言うように、行動には目的があるのです。

では、「なぜ生きるの?」と聞かれたら、なんと答えればよいのでしょうか。
 生きることは大変です。受験戦争を勝ち抜き、就職難をくぐり抜け、リストラにおびえて働き、老いや病魔とも闘わねばなりません。
 人間関係のストレスに悩まされ、事故や災害、会社の倒産など、不測の事態も襲ってきます。
 これらの苦難を乗り越えて、なぜ生きねばならぬのか。もっとも大事な「生きる目的」が示されぬまま、ただ苦しみに負けず「生きよ」「がんばれ」「死ぬな」の連呼は、
 ゴールなきトラックをまわりつづけるマラソンランナーに、鞭打つようなものでしょう。
 
 ◎ 毎日が、決まった行動のくり返しと気づく
 
 イソップの「アリとキリギリス」の話では、夏のあいだ働いたアリは、冬は楽しく遊ぶことができました。ところが人間は、夏はもちろん、冬も働きつづけなければなりません。「がんばって生きていれば、きっとそのうちいいことあるよ」と、それらしい体験の無かった人から無責任な励ましを聞かされても、「代わりばえのしない生活がつづくだけ」が実感ではないでしょうか。そんな人々の感覚をつぎのように表現しています。


 あなたの人生はたぶん、地元の小・中学校に行って、塾に通いつつ受験勉強をしてそれなりの高校や大学に入って、4年間ブラブラ遊んだあとどこかの会社に入社して、
 男なら20代後半で結婚して翌年に子どもをつくって、何回か異動や昇進をしてせいぜい課長クラスまで出世して、60歳で定年退職して、その後10年か20年趣味を生かした生活を送って、死んでいく。どうせこの程度のものだ。しかも絶望的なことに、これがもっとも安心できる理想的な人生なんだ。
 
 大学生はたいてい、学校に行くとまず掲示板を見て、休講がないか探します。昼休みの食堂はいつも満員で、退屈な授業が終わると、サークルで遊んだりバイトをしたりして帰宅。 2カ月の夏休み、春休みも飛ぶように過ぎ去り、4年間もまたたく間に終わってしまいます。
 社会に出たら、ますますこの回転は速まるでしょう。朝起きて、満員電車に揺られながらの通勤は、まさに“痛勤”。クタクタに疲れて帰ると、すぐ朝が来る。
 東京都心に勤める社員だったころ、日比谷線の電車のアナウンス「つぎは広尾」が「疲労」と聞こえるたびに、「今日も朝から疲れた」とため息をつかずにいられなかった。
 会社まで10分歩く間に、「あっ、この前すれ違った人だ」と思ったことが、何度あったか分かりません。自分も他人も、決まった行動のくり返しだと、つくづく肌で感じたものでした。
 「毎日毎日ぼくらは鉄板の上で焼かれて 嫌になっちゃうよ」で始まるのが、子門真人の「およげ!たいやきくん」です。
 453万枚の記録的ヒットになったのは、毎日つづく単調な日常に、「嫌になっちゃうよ」と、多くの人が感じているからではないでしょうか。


「生きてきて本当によかった」という満足がなく、来る日も来る日も「食べて寝て起きて」のくり返しならば、ゴールを知らずに走っているランナーと同じです。
 ゴールに近づく喜びもなければ、「やった!」というゴール突破の感激もないと思ったら、足に力が入るはずはないでしょう。目的地がハッキリしていてこそ元気に走り通せるのは、人生行路も同じです。

 

しかし、なぜか人間は小さな喜びを見つけのが上手な生き物なんです。今日の昼食に食べたカレーライスはうまかったとか、歩いているときれいな人から話しかけられたとか、家族で近くのスーパーに買い物に行ったとか、小さな喜びの積み重ねが大きくなって生きる糧になってくる。山本ジョージの「なんでもないようなことが幸せだったと思う」ことが、毎日、日々かわる人生に刺激を与えている、いわば生きる目的がみえてくるんです。
 
 ◎ なぜ生きるかがわかれば、ひとは苦悩すら探し求める
 
 生きる目的がハッキリすれば、勉強も仕事も健康管理もこのためだ、とすべての行為が意味を持ち、心から充実した人生になるでしょう。
 病気がつらくても、人間関係に落ち込んでも、競争に敗れても、「大目的を果たすため、乗り越えなければ!」
 と“生きる力”が湧いてくるのです。


 ニーチェは『道徳の系譜』に、なぜ生きるかがわかれば、「人間は苦悩を欲し、苦悩を探し求めさえする」と書いています。

方向さえ正しければ、 速く走るほど早く目的地に着きますから、損をする苦労は一つもありません。人生の目的成就のためならば、時間、体力、お金をどれだけ使っても、100パーセントそれらは生かされます。使い捨てにはならないのです。
 人生に苦しみの波は絶えませんが、生きる目的を知った人の苦労は、必ず報われる苦労です。人生は素晴らしい、と言う人もいれば、何をやってもむなしい、と言う人もいます。
 真の「人生の目的」を知るか、否かの違いでしょう。

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