リョウガのページ

小さな嬉しいことを発見する、今話題のことを思う

NHKで「この世界の片隅に」というアニメ映画を見ました

きのう、NHKで「この世界の片隅に」というアニメ映画を見ました。とても心に残る作品で、心が打たれましたね。

8月6日に原子爆弾を落とされ、終戦を迎えるまでの物語、というよりも本当の歴史に基づくもの。日常の生活を優しく表していて、その中で戦争という過酷な状況の中を生きていく。何か、思ったのは、簡単に人が死んでいくという何とも命の尊さが軽く流されていた時代かと。小さな命がこの見知らぬ町でひっそり

暮らすほんわかしたものが、とてもよく表されてました。歴史を知る上でも、時代の流れに乗って翻弄される人生を描いてましたね。人は何のために生きるんでしょうか。小さな幸せのため。

でもそのなんでもない小さな出来事が、本当は大きな幸せとなって、人生を描いていくのではないでしょうか。

まさに「この世界の片隅に」小さく咲いた命の大きな物語であります。本当によかった。

 

戦艦大和が建造され、海軍の町として栄えた広島呉市に、人気アニメ映画「この世界の片隅に」の舞台として注目を集める。地域活性化を目指すNPO法人は、登場する実在スポットを紹介する案内所を設置。「聖地巡礼」で観光客を招く。

呉で有名な観光地は大和の模型を展示する「大和ミュージアム」だが、駅をはさんで反対側にある商店街は人口流出も重なり、活気を失っていた。

そこで大和以外の目玉をつくろうと2010年、商店街の一角に案内所を設けた。

ようやく当たったのか16年の公開「このセカ」。伸び悩んでいた年間訪問者はそれまでの3倍に増えた。案内所では映画に出てくる建物などへの行き方を記したマップを配る。スタッフが常駐して解説するなど、ファンの聖地巡りを手厚くサポートしています。

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日本がアメリカと戦争したことを……太平洋戦争を知らない若者がいる……

え、いやマジで? 嘘でしょ? 逆にそれが戦後70年経ったってことを象徴してんの?
とまぁ色々なことを考えさせられるのですが、歴史は人類の過ちと失敗の記録であり、逆にいえばハッピーへ至るまでの攻略本。

歴史を知らない人間は、先人達と同じ過ちを繰り返します。

歴史は知っておくに越したことはないのです。しかし、いきなり「戦争の歴史をお勉強しまし

火垂るの墓この世界の片隅にで、太平洋戦争をザックリおさらいしたいと思います

火垂るの墓

太平洋戦争は第二次世界大戦の一部

歴史とか全く知らんって人に、まず大前提として知っておいてほしい話を一つだけ。

日本で一般的に「戦時中はねぇ〜」的な感じで話題にのぼる太平洋戦争(大東亜戦争)は、第二次世界大戦(1939〜1945)の一部を指します。

第二次世界大戦はザックリいうと、独裁政治なファシズム国家の枢軸国(日本、ドイツ、イタリアなど)と、ファシズムな連合国(イギリス、アメリカ、フランス・ソ連・中国など)との戦争ですが、その第二次世界大戦中の1941年12月8日(ハワイ時間だと7日)、

日本軍によるハワイの真珠湾攻撃から始まったアメリカ、イギリスなどとの戦争が太平洋戦争です。

ちなみに日本は、その前の1937年から中国と日中戦争もおっぱじめておりました。

映画によく出る超ザックリ太平洋戦争

太平洋戦争を舞台にした映画は日本でもアメリカでも山ほど作られておりますが、戦争映画を全部網羅して表を作るとメチャクチャ複雑になるので、とりあえず火垂るの墓この世界の片隅に“あのシーンは太平洋戦争の何年何月頃の話だったのか”を表にしてみました。

これを軸にすれば、他の戦争映画で語られる出来事も大体いつ頃かわいかがでしょう。超ザックリでしたが、教科書の中にツラツラ書いてあった昔の出来事がグッと近くに感じられませんでしたか?? いやー……火垂るの墓』って、3ヶ月ちょっとのお話だったんですね。

今回、歴史と劇中の出来事を照らし合わせて、すずさんが嫁いだ北条家のみなさんがなぜあのタイミングで防空壕を作ったのかよく分かりました。

戦争アニメだと思ったら、ほのぼの日常系アニメだった。

観る人観る人、大絶賛で日本中で大反響を巻き起こした『この世界の片隅に』。でも、

「えぇ〜、でもこれ戦争アニメ映画なんでしょ〜〜?? どうせ暗くて重いんでしょ〜〜?? そういうのはちょっとぉ〜〜」

って、敬遠して未だに観ていない人もいると思います。実際、劇場に観に行くまでは僕もそうでした。しかし違ったんです。 戦争アニメじゃなかったんです。

クスっと笑える“ほのぼの日常系アニメ”だったんです!

戦時中なのに!? いや、違う! 僕は大事なことを忘れていたのです。

戦時中だって、日常だ!

今ではテレビや映画で観たり、お年寄りから聞いたりするだけなので、ピンと来ていませんでしたが、戦時中だってその当時の人からすればそれが日常だったのです。

 

当時13歳だった祖母の日常

これは今年米寿で、当時13歳だった佐賀に住んでいる祖母から聞いた話です。

当時は空襲警報が鳴ったり止んだりで登校しようとしたらもう下校時間になったりの繰り返し。防空壕に入ることはなく、B29が飛んでても珍しいなーくらいに眺めていて、食糧難なので土手にカボチャを植えていた。

これが当時の祖母にとって紛れもない日常だったんです。

そして、1945年8月9日午前1102。そんな祖母も戦争史と遭遇する日がやってきます。

こっから先はそのまま祖母の話です。

祖母が見た閃光

1945年8月9日午前11:02

学校から帰って田んぼに向かおうとしたら、分教場を超えたところで神社の山の向こうが

ピカーっ!っと光った。

雷かと思ったら黒っぽい雲がモクモクと立ち上るのが見えた。数日後、少し離れた小学校に人が運ばれていると聞き、姉に誘われ見に行った。焼けただれ、ウジが湧いた人たちだった。

直線距離で約47km。佐賀にいた祖母は、隣の長崎に投下された原爆の閃光を目撃していたのです。

人が運ばれていた小学校というのは僕の母校なのですが、長崎からはかなり距離があります。おそらくは長崎本線の電車で運ばれたのだと思いますが、駅から小学校までも歩きならそこそこ距離があるので、長崎からそんなとこまで運んだの?とビックリしました、戦時中だって、日常だったんです。

皆さんもこれを機会に、戦時中の日常の話を周りのお年寄りに聞いてみてはいかがでしょうか。『この世界の片隅に』、祖母と一緒にもう一度この映画を観たいと思います。

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