スポーが与えるもの「感動だけではない」
こんにちは。
今日は、スポーツが与えるものについて
「渋野日向子、全英女子オープン」という、日本人初の快挙に国内が湧いたのは、記憶に新しいですね。
ゴルフファンでなくとも、このニュースは目にしたはず。スポーツにおける ”偉業達成” という話題は、人をひきつけてやなまないですね。
それはスポーツというのが、掛け値なく人の気分を高揚させ、感動するからだろう。
選手の頑張る姿を見て「同じ日本人として誇りに思う」とか「私も頑張ろう」と奮起したりもする。我々がスポーツを経由して感動を覚えるのは、非常に原始的だが、単純に興奮を呼び起こされるからではないでしょうか。
「ここから100メートル先まで一体誰が一番早く走れるか」「重たい鉄の玉を誰が一番遠くまで放り投げれられるのか」「遠くに空けた小さな穴に、何回クラブを振って球を入れられるのか」など人間は本来、単純な疑問に立ち向かい、単純な答えを好む生き物なのだろうか。また、そういう事に熱狂したい生き物なのだ。どこか滑稽のも見えるようなことでも、ズバッとそのことに賭ける、もしくは賭けている姿を、美しく想うのだろう。
世界で一番優れた人やもの、成しえた人やものを賞賛し、また、それを見て「自分の方がうまくやれる、必死でやってみよう」という新たなチャレンジャーが登場し、記録を塗り替えていく。
悩ましく答えの出ない問題や、決着がつかないことや、 ”結局あれはどうなったのか” などと、モヤモヤしながら過ごすことも人間は少なくないと思う。「何をして生きるべきか」という難問を抱えながら生きている現代の我々に、スポーツはシンプルな答えを見せつけてくれる。
渋野選手の優勝は、そんなことを考えさせてくれる、きっかけとなるようなニュースだった。渋野選手がどんな20年を過ごしてきたのか計り知れないが、20歳の若い女性が考える人生論を聞いてみたい。
日本では今、ラグビーワールドカップが行なわれていますが、来年はオリンピックが開催される。世界的なビッグイベントが立て続けに我が国で開催されると言うことは「自分にとって何か運命的な出来事かもしれません」と、思い込んでみるのもいいかもしれない。
スポーツが与える感動に触れると、何か答えがでるかもしれないし、何か感じることもできるかもしれない。
そんなビッグイベントが日本で開催されるのだから、みすみすみのがすなんてもったいないのではないだろうか。