大河ドラマ「麒麟がくる」の麒麟は誰でしょう。
こんにちは。
突然ですが、来年のNHK大河ドラマは何か知っていますか。
今年の「いだ天」の不人気でよくわからないのではないでしょうか。
来年の大河ドラマは、天正10年(1582)6月2日、本能寺で織田信長を討った明智光秀が、
「吾が敵はまさに本能寺に在り」と頼山陽「日本楽府」にうたわれた、明智光秀が主人公「麒麟がくる」です。
すでに光秀のゆかりの地として、福知山市、亀岡市、大津市、岐阜県、福井県では盛り上がりを見せています。
光秀の生涯については、不明な点が多いんです。
出生地は岐阜県可児市、恵那市、山県市、滋賀県犬上郡など諸説があって、生年も通説では享元年(1528)とされているが、定かではない。
信長に召し抱えられるまでの前半生は確かな記録はなく、謎に包まれているんですね。
さらに最大のなぞは主君である信長に対する陰謀の動機だ。戦国の世に見られて天下取りの野望なのか、あるいは信長の理不尽な所業に対する恐れや疑念か、諸説は数十にもおよぶ。
調べていくと、黒幕説も正親町天皇の側近などを中心とした朝廷や公家勢力、
あるいは仏教弾圧に反発した本能寺勢力、存亡の危機に直面していた中国の毛利氏や、
天下を狙っていた徳川家康がそそのかしたという話もあり、でき代のミステリーとして興味をそそられますね。
動機は謎のままだが、はっきりしているのは信長襲撃が用意周到だったにもかかわらず、天下を取った後の備えはあまりにも杜撰で胞弱だったことである。
本能寺の変の後、山崎の戦いで敗れ、敗走の途中に竹林で襲われ、光秀の天下はわずか13日で終わった。
信長側の反撃に対する軍事的備えや味方の統合という政治的備えなど、事後に対する的確な手が打たれた形跡はなく、長年の朋友や追随してくれると信じていた武将たちにもことごとく見限られてしまった。
現代のビジネスにおいても、起業や事業の拡大を図ろうとするとき、将来の展望もなく、人々の共感の裾野を広げないままやみくもに行動してしまえば、チャンスは生かせずに ”三日天下” に終わってしまうことでしょう。
「麒麟がくる」の麒麟は仁政を行なうのもとに現れるという伝説の動物のことです。
才能が傑出した人の意味もあるそうです。
光秀は有職故実に通じ、和歌や茶をたしなむ教養人であったといわれ、臣下としてはまさに麒麟と称される人であったでしょう。
その彼が、その後準備もなく、なぜ謀反に走ったのか。果たして光秀が麒麟なのだろうか、否か?
今まで違った光秀像が描かれるだろう新しいドラマ、を楽しみにしたいですね。みなさんも・・・
大河ドラマ大好きな者のつぶやきでした。
それでは、明日もいい一日でありますように。