カツベン!
記録的なヒットで社交ダンスブームを巻き起こして、ハリウッドでもリメイクされた映画「Shall We ダンス」。
その周防正行監督の最新作「カツベン」は、今冬の公開がまたれる一本ですね。
舞台は大正、映画がまだ ”活動写真” と呼ばれていた時代のお話。
カツベンこと活動弁士(活動写真弁士、弁士などとも呼ばれる)になりたい青年の奮闘が描かれています。
皆さん知っての通り、映画はかつて、音を持たない無声映画(サイレント)であった。西洋などでは、作品に生演奏を付けて上映するのが一般的でしたが、日本では少し様子が違っていました。燕尾服に身を包んだ活動弁士gたスクリーンの横に立ち、投影される映像の内容を同時に解説していました。楽器を演奏する音楽士が、活動弁士と共に上映を盛り上げていたんですね。
弁士の役割は主に、映画の内容を捕捉して観客に伝えることなんです。例えば、洋画のセリフにあたる部分を、役者に合わせて声色を変えて吹き替えしたりしました。また、当時の映画は尺が短かったので、興行として成り立たせるために、上映が始まる前に前説を弁士が行なった。
一口に弁士といっても、弁士の数だけスタイルがあって、話術も違う。面白おかしく盛り上げる口上の上手い弁士、作品の持つ背景を調べ上げる学術的な説明をする弁士など。たとえ同じ作品であっても、弁士によって観客が作品から受ける印象が180度違う可能性があることも想像に難しくない。
当時は映画館毎にお抱えの弁士がいて、彼らの人気度が集客に直結していたので、劇場間で弁士の引き抜きも行なわれていました。当然作り手も、弁士が横で話すことを前提に映画製作をしていた時代があったわけです。このように、当時の日本の映画産業において、弁士が担った役割は大きかった。
芝居小屋が文化として大衆に身近であった日本において、弁士が人気を博したことはごく自然の流れだったのでしょう。劇場では芝居や歌舞伎のように、掛け声や時にはヤジも飛び交っていたそうです。
全盛期の大正時代には、全国に8000から8500人もの弁士が存在していたという。
時は流れ、映画が音を持ち、トーキー映画へと移行すると、職業としての弁士は徐々に衰退していった。
しかし令和の現代にも、弁士として活躍する人がいます。澤登翠さんや坂本頼光さん、片岡一郎さんといった方々が、今もその魅力を伝えています。
映画館で最近流行りの ”応援上映” にも、公共の場で他人と共有する楽しみを観客は求めているのではないでしょうか。芝居小屋に根付いた娯楽の楽しみ方が日本人の根っこにはあるんでしょうね。日本独自に花開いた弁士がそれを雄弁に物語っています。