孤独のグルメの食べっぷり
テレビドラマの世界では意外な作品がヒットするんです。
そのうちの1つに、グルメドラマ「孤独のグルメ」がある。
このドラマは中年男が1人で店に入り、黙々と食事をして心の中で料理の素晴らしさをつぶやく。
ただそれだけの設定であり、ほかにストーリー性はほとんどない地味な作品。マンネリもいいところなのだが、シリーズ化されて何年も続く息の長いヒット作品となっている。
製作側も、ここまでヒットするとは思わなかっただろう。主人公を演じる俳優も記者会見で「ただのおっさんが食事をしているだけなのに、誰が見るの?といつも思っている。それがこんなに続くとは正直、自分にもわけがわからない」と語っているほど。
なせヒットしたのか。
1つは、聖地巡礼が出来ることか。
聖地巡礼とは、ファンが実際に物語の舞台やロケ地などを訪れること。
このドラマで主人公が食事するのは実在の店ばかり。しかも大半が、知る人ぞ知る店。超有名店は登場しない。そんな隠れたグルメを、ドラマを見てから訪れるという楽しみがあるんでしょう。単に店を紹介するだけなら、ワイドシショーやバラエティ番組の1つのコーナーとしたら済むはなしではある。
ドラマとして成り立っているのは、主人公が演じる食べっぷりの良さ。とても上品だ。
彼は、 ”メシを食う” という言い方はしない。こういう下品で乱暴な表現をする人ほど食事における行儀は良くない。かむ音を立てながら食べたり、平気で食べ残ししたりする。
食事は生きていくうえで大切な行い。その大事な行為を下品かつ乱暴にするということは、人間関係を良好に保てないことに通じる。
主人公は好き嫌いせず何でも食べる。人間は健やかに生きるためには1日に30品目の食べ物を体内に入れる必要があるので、好き嫌いをしていてはダメだ。
好き嫌いなく食べることは食生活を豊かにさせて、栄養のバランスを保つ。これは性格にも通じる。
食べ物の好き嫌いが無い人は人間関係が比較的良好。
逆に食べ物の好き嫌いが激しい人ほど身勝手だ。
また、主人公は必ず手を合わせて「いただきます」と「ごちそうさま」と言う。美味しい食べ物を獲ったり、作ってくれた漁師、農家、調理人などすべての人に、人間に食べられることになってしまった生き物に、あらゆる恵みに対する感謝の意を忘れない。
さらに、美味しいものへの貪欲さを演じきっている。芝居において、食事にシーンは高い演技力を問われる難しいものだ。
故・高倉健氏もそうだったが、主人公は撮影には極限まで腹を空かせてからのぞむことで、秀逸の食事のシーンが出来上がるという。
そして、主人公は決して食べ残しをしない。たとえ添えのパセリでも深い味わいを表現する。どこまでも上品な番組であると思った。これを見た後に食事をすると、実際にうまく感じるのは不思議である。
最後に、やっぱりシンプルで分かりやすさ。
ひとつのことに特化して、それを奥深く描写することは、人の心をくすぐる興味深い何かがある。昔見た、黒澤明監督の「羅生門」のシーンのように。