リョウガのページ

小さな嬉しいことを発見する、今話題のことを思う

コロナ騒動で思い出した90年前の金言とはなんでしょう

こんばんは。

コロナウイルスで、自粛中の中で、主要都市意外で緊急事態宣言が解除されました。

ある意味、良かったと思う反面、またぶり返すのではないかと少し不安な気持ちです。皆さんはいかがですか?

そんな中、大阪は独自の大阪モデルをいかして一部商業施設などの段階的解除を行ないました。しかし、なぜか梅田などの主要都市の人口流動率は以前よりは数パーセント下がっていますが、いまだに80%を超える自粛率ですね。大阪は、やはり団結力があるもでしょうか。

このまま、緑の輝きをともし続けて欲しいものです。

 

先月、映画監督の大林宣彦氏が82歳で亡くなりました。

およそ40年前のころ、墨田区錦糸町の 「楽天地」 映画館に、舞台あいさつに来ていたことを思い出します。

楽天地」の運営企業は 東京楽天地。大林監督が生まれる1年前の昭和12年に、阪急電鉄宝塚歌劇団・阪急百貨店・東宝・をはじめとする阪急東宝グループ(現・阪急阪神東宝グループ)の創業者、小林十三氏が 「下町の大衆に娯楽を」という理念のもとに設立されました。

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楽天地ビルは映画館のほかに、様々な娯楽施設を相次いで誘致して、ファミリー層に開拓の余地を見出した投資を積極的に行なって、地域のに根付く店づくりを推進しました。

その後、昭和56年から再開発を進め全面改装した際に、商業施設は系列の阪急百貨店ではなくて、西武セゾングループ西友を誘致しました。

錦糸町西武」が開業し、現在は「錦糸町パルコ」に姿を変えています。

 

暗黙知」 「形式知」 の概念を提唱する経営学者の野中郁治郎氏(一橋大学名誉教授:昭和10年)は墨田区出身です。

日本経済新聞の人気コラム 「私の履歴書」(令和元年9月2日号) に、「自宅は縫製工場を兼ね、週末には父親に近所の映画館によく連れて行かされた」と書いてありました。

小林氏の理念が当時の地元住民にいかに必要とされて、また溶け込んでいたかが垣間見られます。

新ターミナルビルの竣工にあわせて開店させて、鉄道を起点とした都市開発、流通、娯楽事業を一体的に進めて、それらを電鉄に連動させ相乗効果を上げる私鉄経営モデルの原型を独自に作り上げた小林十三氏。

鉄道会社が直営で百貨店を経営するなどといった事例はなくて、その前途に疑問を持つ者も少なくなかったんですが

「便利な場所なら、のれんがなくても乗客は集まるはず」

「素人だからこそ玄人では気づかない商機がわかる」

として事業を推し進めて、当時の世界恐慌のさなか多くの集客に成功しました。その根底あるのは ”環境の良い住宅に暮らし、百貨店で買い物、観劇を楽しむ” といった、ゆとりある生活を提供する、理想のライフスタイルの創造だったんです。当時から、コト消費に狙いをつけていたともいえるでしょう。

 

かかる状況下、残念ながら各地の映画館や商業施設といった人が集まる場所の多くは休業体制を強いられています。

今後、誰もが経験の少ないリモートワークの流れが広まって、ビジネスのあり方も変わることが予想されます。従来型の切り口とは、違った形が求められるようになるかもしれません。

だけど、ビジネスのターゲットは最終的には人にたどり着く。

消費者の様々な欲望を探し出して、いかにそれを満たしていくか。

時代がどれだけ変わっても、90年前のことばにはヒントが詰まっているんではないでしょうかね。