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「素敵な選TAX」Iを見て思った 「比較衡量」について

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みなさん。

2つの選択脂をハカリにかけて判断を迫られる状況は生きていくうえでたびたびやってきますね。

それこそ、今日の昼ご飯は和食にしようかなそれとも中華にしようかな、といったささいなことも含めると、無意識のうちに毎日何かしらの選択を繰り返しいのでしょう。

もう何十年も前のことですが、大学の法学部の友達に聞いて、最初に勉強するのが比較衡量(ひかくこうりょう)だと聞いた。

日常では聞きなれない言葉ですが、主に法律で用いられる論理のことで、様々な問題や事件解決の原則となるらしい。どんなに複雑難解な事件であっても、裁判に持ち込まれた場合は、どちらに軍配を上げるのかを決定しなければならないんです。

そのとき、双方が対立するもろもろの利益関係を比較してハカリにかけて、判決を出すことが求められている。

勉強の教材となったのは、公共交通機関の騒音や振動をめぐり、平穏な日常生活を侵害させられたとして住民が差し止めを求めた裁判だった。かつて名古屋地区の住民が起こした裁判はとても有名で、

新幹線の走行に際して、一定値以上の騒音・振動を出さないようにしてほしいと求めたことに対して、裁判所は比較衡量の結果、住民への慰謝料支払いを命じたんですが、訴えである騒音・振動の差し止めは認められなかったんです。新幹線が交通機関として高い公共性を有していることが理由であった。

仮に、当該地区を新幹線が走行する際に減速しれ騒音:振動対策を実施すれば、他の区間でも同様の訴えが上がって、これに応じる必要が出てくる。これでは新幹線のウリである都市間の高速移動がままならず、社会経済活動に重大な支障が生じるとの判断だった。

住民たちが被る騒音・振動被害よりも、新幹線の公共性のほうに軍配を上げたわけです。平たく言えば 「社会経済活動のためには多少の犠牲や我慢は致し方ない。その分、迷惑料は払うから」 というわけである。

比較衡量理論が優れているといえる点は、個別具体的に判断することで、多数の人が「まあ、しかたがないな」と妥協せざるを得ない結論を導き出すことが期待できること。逆に、公権力と名もなき市民の人権が対立した場合は、公権力に軍配が上がりがちになる欠点がります。

では、声をあげることに意味がないかというと、決してそうではありません。新幹線も走行音が静かになる車両開発が進み、現在では特段問題のないレベルにまで騒音・振動が低減しています。

判決の時点ではどちらかを選択せざるを得なくても、問題提起のきっかけとなって将来的にはお互いに歩み寄りが進む可能性はある。

企業でいえば、判決を下すのは経営者。比較衡量の知識を有しておくことがプラスに働くでしょうね。

今日、テレビで、過去に戻って選択できるというドラマを見て、思い立ちました。過去に戻ることができたらいいですね。