厄介な奴に仕事で報告したら文句が帰ってきた 哀れな 「伝言ゲーム」の教え
こんばんは。
「伝言ゲーム」です。
言葉というのはたまに厄介なものです。
ニュアンスが伝わっていなかったり、受け取り違いを起こしたりして、無用な問題がトラブルに発展します。
昨日も、会社で厄介な奴に仕事で報告したら、ことばの取り違えで、おもっきり文句を言ってきました。聞き違えたのか、改めて言い直したのですが、言うことを聞かずい文句のオンパレード。なんとレベルの低い会社でしょうね。
「言った」 「言わない」も良くあることで、対面していても、問題に発展することがあるのだから、誰かを介する「伝言」ならなおさらで、果たして何が事実だったのか、最後まで分からずじまいになることだってある。
旅行の移動中なんかで、退屈しのぎに 「伝言ゲーム」 をやったことのある人は割りと多いんではないでしょうか。
一列に座り、先頭の人が元々のフレーズ(キーワード)を後ろの人に伝える、あのゲームです。たいしたことのないフレーズでも、間に人が多ければ多いほどその形を変えて、最後の人のフレーズが元々と一致することはまずない。
時には ”赤” が ”黒” に変わることだってある。人の伝達力なんか、曖昧なもんです。だから、大事なことは文書に起こしたり、時には音声に記録したりもします。
会社においてみんなが一堂に会する会議というものが、ムダだ、ムダだと批判されながらも、いつまでたっても廃れないのはなぜか。
「仕事を進める上での重要なもの」 「昔からの習慣」 「なんとなく仕事をした気になる」 など理由は様々だけど、長きにわたって 「伝言ゲームを回避するため」のツールとして機能してきたことも一つといえる。
「〇〇にちゃんと伝えておいてね」がどれほどあてにならないかは、皆さんも心当たりがあるでしょう。
スマホが普及し、同時通信のアプリも充実した今と違って、ひと昔前までは、 ”正確を期すために、大勢に同時発信を行なう” 手段が極めて限られていた。逆に言うと、システム環境が進化して、ソーシャルディスタンスが問われるようになったこれからは、いよいよ本格的に会議不要の時代に突入していくものと考えるのが自然です。
さて、少し前の話ですが、某隣国のトップの動向が注目をあつめた。2~3週間ほど公式の場に姿を現さなかったために 「何かあったのでは?」 との疑惑が駆け巡り、死亡説もまことしやかに伝わってきた。だけど、いかに事実っぽく語られる話も、実際のところ裏付けがあるわけではなく、専門家も 「私が聞いた話では~」などが情報源。そしてその情報源たる別の誰かも「そのような噂を聞いた」 「状況からそうだと思う」 などであったのでしょう。
そうした論拠に尾びれ背びれがついた結果はご存知の通り。ほぼ間違いないとまでされていた死亡説は一体何だったのかと首をかしげたくなる。
だけど、これは決して誰もが無関係な話ではない。日常、さも事実かのように飛び交う情報も、ふたを開けば伝言ゲームの成れの果てであった事はザラ。
自分の目で、耳で、捉えたもの以外は話半分にとどめておくのが正解かも知れないと、今回のつまらに喧嘩でよく分かった。
もっと、知的レベルの高い会社で働きたいものですね。
しかし、腹が立つ。