「未来少年コナン」を見て思った事。
先日、コロナの影響で、放送する番組がなくなったのか、NNKで宮崎駿監督の処女作 「未来少年コナン」を放送していました。まだ、私が少年だった頃の作品で、なんだか懐かしくて見入ってしまいました。
改めて感じたのは、とってもストーリーが簡単で、その場その場のシーンも、言葉が少なく無言のシーンがとてもシンプルで引き付けられました。
これを見てこんなことを思い出しました。
15年ほど前のことです。
ラジオから 「静岡県が東海地震等に備えて保有していた防災船を売却することになった」 というニュースが流れていました。
私には防災船売却という事実よりも、ニュースを読んだアナウンサーの 「このような県民の税金の無駄遣いは、これ以上止めて欲しいものですね」 というコメントが非常に印象に残りました。
こうしたニュースのコメントは、一般受けし、かつ聴衆者の支持を確信しているものであることが通常です。私は防災船に対する世間一般の印象を垣間見た思いがしました。
売却された防災船は、静岡県の外郭団体が運用していた高速フェリー 「希望」 (2785総トン)。テクノスーパーライナー実験船として最大速力40ノット(約時速75キロメートル)という高速で、乗客260人、普通s車30台を運べる能力を持っていました。造船会社の実験終了後、静岡県が防災船として購入して、普段は清水港~土肥港間のフェリーとして運航していました。
ただ、折からの原油価格高騰で採算が取れなくなってしまったために、2005年10月に運航が中止されました。海岸線の長い静岡県にとっては、非常時における防災船の有用性は高くて、「防災船」 のアイデアそのものは大変すばらしかったでしょう。
が、いかんせん財政の都合でやむを得ず、手放すことになったようです。だから、私は、アナウンサーが発した「税金の無駄遣い」 のコメントに違和感を覚えました。
「屠竜の技」(とりょうのぎ)という言葉があります。
文字通り ”竜を殺す” 技術のことで、転じて「それを学んで巧みになったとしても(実際には竜は存在しない動物だから)役立たない技術」 (荘子・列禦寇)という意味で用いられています。
竜や麒麟はたしかに想像上の動物であって、実在しないものである。 「税金の無駄遣い」 と言うと、防災船はまるで「屠竜の技」のようである。
しかし、日本にとって、地震災害や台風被害は決して「想像上」の災害ではなくて、常に備えるべき大きな現実の問題である。だから、不幸にも、そうした事態に見舞われた際には、その名の通り「希望」をもたらす、そんな出番があってたかも知れない。少なくとも、決して無駄ではなかったはず。
静岡県では、幸いにして今も防災船が必要となる災害は起きていない。しかし、東日本大震災のときに、もし 「希望」 が現役で存続していれば・・・・、とも思う。
近年、相次いで様々な災害が日本を襲っています。
考えたくはありませんが、この先も平穏無事にいられるとは考え難い。
そこでは 「備え」 の意識が明暗を分ける。
新自由主義的な効率性が求められる風潮の中で 「備え」 とのバランスについて考えるとき、 「希望」 を思い出しますね。
コナンが何も考えずに作ったものもたい。