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司馬遼太郎原作の映画 「燃えよ剣」 に見た新撰組最古参、万年平隊士の一生 おすすめ

こんばんは。

今日は、映画 「燃えよ剣」 ついて。

 

司馬遼太郎原作の映画 「燃えよ剣」 が近日公開予定です。

幕末に活躍した新撰組を題材とした映画なんです。

 

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今回はこれにちなんで、推定延べ五百二十人にもおよぶ新撰組在籍隊士のなかから、知られざる無名隊士にスポットを当てたい。

 

その隊士の名前は蟻通勘吾(ありどおし かんご)。

近藤勇土方歳三沖田総司といったスーパースターとは異なって、蟻通は時代劇でその他大勢のモブキャラ、ザコキャラとして扱われて、

これまで脚光を浴びることはまったく無かった。

しかし、実は、蟻通こそ新撰組で最古参の隊士として最後まで不屈の精神で戦い抜き、その六年の在籍期間を 「平隊士」 のまま貫き通した数少ない隊士なんです。

蟻通は天保十年生まれで、讃岐国の高松出身とされていますが、詳しい出身は分かっていません。新撰組の入隊は、結成から約三ヶ月後の文久三年六月の第一次隊士募集時であって、幹部を除いた隊士では最古参であったことに疑いはないです。

蟻通に関する逸話はほとんど伝わっていなくて、昇進しなかった理由もわかっていない。

だからといって、決してボンクラだったわけではなかったんです。

新撰組が関わった重要な戦いのほとんどに参加して、数々の功績を挙げている。

元治元年六月の池田屋事件では土方隊に属して、第二陣として池田屋に突入。このときの戦功で十七両もの破格の報奨金を得たんです。

慶応二年9月の三条制礼事件では、金千疋の報奨金を貰っている。

慶応三年十二月の天満屋事件では、坂本龍馬暗殺の濡れ衣を着せられた紀州藩幹部を護衛し、海援隊と陸援隊の襲撃者を撃退した。

戊辰戦争では劣勢のなか鳥羽伏見、甲州勝沼会津と転戦して、白河口の戦いで負傷。

最終局面の箱館戦争では箱館山に奇襲上陸した新政府軍の大部隊を迎撃。

数的劣勢のなか、十分に傷も癒えないまま参戦した蟻通はその山中で戦死した。 

その死に様はようとして知れない。

 

蟻通の戦歴をみると、肩書きにこだわらず、内部抗争にも関わらえうことなく、ただひたすらに黙々と任務をこなす 「プロフェッショナル」 な姿を伺い知ることができます。

新撰組の任務が倒幕諸藩との組織戦へと移行する中、個人の剣術スキルに依存した戦法では状況に対応できなくなっていた。

組織においては、名だたる剣豪といえども大言壮語を吐いて統率を乱す者は扱いづらく、重篤の天才剣士・沖田総司は戦力外だったんです。

むしろ蟻通のような、たとえ個々の力は小さくても組織の歯車に徹して、確実に成果をあげる名も無いき ”仕事人” の奮闘が新撰組を支えていたんです。

統率のとれたつぶぞろいの兵隊で編成された精鋭部隊であったればこそ、新撰組は幕末の動乱を最後まで戦い抜くことができたのです。

幕末諸隊最強たるゆえんです。

というわけで最後に一言、 「一人の沖田総司より十人の蟻通勘吾を!」