藤井聡太棋聖のお辞儀にみる感謝の気持ちについて
偉業達成、先日、藤井聡太七段が史上最年少で棋聖のタイトルを獲得しましたね。
ひょうひょうとした雰囲気をかもし出しながらも緻密かつ大胆な打ち筋で、渡辺明三冠に 「すごい人が出てきたという感じです」と言わしめた強さに、ただただ感服です。
その強さに以上に感動したのが、誰よりも低く、深く下げる正座礼の姿。ニュースにも写真にが掲載されていたので、記憶にある方もおられるでしょう。
渡辺棋聖より、そして将棋盤よりさらに低く、深深と頭を下げいました。
負けたときは潔く、買ったときは相手への敬意を表し、より深く。
対戦相手への、将棋への謙虚な姿勢を示す何よりの表れでしょう。
残念ながら今夏は開催が見送られたが、甲子園・高校野球の試合でも、10年ほど前からだろうか、以前にも増してグラウンドで礼をする選手の姿を見ることが多くなった。攻守交代のたび、自分のポジションのグランドに向かって脱帽し一礼して試合に臨む学校、球児が多くなってきたのは、見ていて清々しい。
今では多くの学校でそうしていると聞きます。テレビ観戦では、攻守交代の時間はリプレイを流している事が多いので気づかないが、球場で見ていると良く分かる。
プレイへの集中心を高めるとともに、グラウンドへの感謝の気持ちを持つ教えがそうさせているのです。
また、関西のある強豪校は、応援スタンドに向かい、試合後だけでなく、試合前にも整列・一礼しています。
「今日もありがとう、これからも応援よろしく頼みます、パワーをください」という思いでしょう。
私はこの姿にいたく感銘を受けて、当時指導していた小学生の野球チーに導入しました。
子供たちは何のことやら分からぬ様子だったけど主旨を説明すると実行しました。いつも一生懸命で苦労の絶えないご父兄には好評でした。伝わってよかったと思う。
「実るほど こうべを垂れる 稲穂かな」。 私が若かりし頃、とても厳しく、そし人格者であった上司の机に、デカデカと貼られていた。
自分がより成長していくには、周囲の存在があってこそ、だ。
ところが、藤井棋聖のようにな振る舞いを自然と行なえることの方がまれなのだろうか、今でなおごりと欺まんに満ちた行いのニュースが後を経たない。
特に権力を持った人たちの。いや、他人どうこうまえに、まずは自分自身が感謝や謙虚の念を持って過ごせているか、それが気持ちの入ったお辞儀として表れているか、改めて問うてみましょう。