このブログは誰も見ないブログです。
誰も見ないブログです。
ブログを投稿して、約1年半が経ちました。
現在では、600の記事をたんたんと書き続けていました。
ただ、このブログ誰も見ません。 まあ、当たり前ですが。
ただの日記みたいなもので、何の役にも立ちません。
有名ブロガーのユーチューブでアドバイスを見ているんですが、
全くの逆を行っているのがこのブログ。
有名ブロガーは 「テーマ」を決めてそれに特化しなさいと言っていますが、私には特化できるテーマなんてありませんね。これと言った特技も専門性もありません。
しいて言うならば、長年企業で働いてきた仕事の関係ぐらいで、他にはありません。
大学の頃は、映画や小説、歴史が好きだったかもしれませんが、それはただの趣味で、深く語れるほどではありません。
でも、一人だけ、「いいね」と返事を頂ける方がいます。
一日記事を書いて、閲覧数は3~4人、今でも20人いるかいないかです。
でも、一人でも真剣に読んでもらえる人がいることは、私にとってはこの上ない宝です。
これからも多くの人に読まれることはないでしょう。だって、ただに気まぐれ日記ですから。思いついたことを書きなぐっているがけ。それを詠んでくれるのは奇跡でしかありませんね。
でも、書きたいことを書くのは、私にとっては一種の楽しみ(誇り)なんですね。何か思ったことを記憶に残す、自分の筆跡を追うことで、何か過去の自分にめぐり合えたような、過去の自分にメッセージを送っているような何か奇妙な感じがするんです。
どうでもいい事でしょうけど。
数年前の話ですが、私の古い友だちから突然連絡があって、久しぶりに会うことになりました。
友人は社会人になってから一貫して営業でがんばってきた。
若い頃は数社を転々としていたんですが、30歳で入社した輸送機械関係の中小企業でようやく活躍の場を得たらしいんです。
友人は支店の新設に際して市場開拓要員に抜擢され、40歳を過ぎた頃には営業主任としてリーダー的な存在になっていました。
しかし、家庭の事情で退職を余儀なくされました。いわゆる「介護離職」ってやつで。
親の介護のため実家に近い本社勤務に戻してもらえるように会社と交渉したんですが、聞き入れられなかったらしい。今は実家で親の面倒を見ながらある勧誘の仕事をしている。
転職で収入は減って、子供も3人いるため大変苦労している様子だった。
ここまで身の上話を聞いていると薄々気付いたのだが、安の定「入会の勧誘」とう話に流れていった。
この手の勧誘営業は付き合いだすときりがないので、丁重にお断りした。私の方でも家計の見直しで無駄な契約を片っ端から解約していた時期とも重なっていたため。
後日、旧友との頼みともあって、負担のかからない小さな契約をかわした。
数日後、契約書にサインする段取りになったとき、友人は革製のペンケースを取り出して、契約にサインしてもらうときはいともこのペンでサインしてもらっているとのことで、ずっしり重い高級そうなペンが手に伝わってきた。
「普段はこんな高級ペンは使わないけど、契約書にサインしていただくことはお客様と初めて繋がりをもつ大切な儀式だから安物では失礼だ。だから無理して買ったんだ、と
彼にとってこのペンの重みは、 ”顧客と契約えお取り交わす責任” の重みであって、誠意を込めた特別な営業ツールであったと今になって思った。
正直なところ、彼がどこまで真実を語っていたのかは分からない。
勧誘のための作り話かもしれなません。
しかし、どんなに身をやつそうとも、彼のボールペンに対するこだわりは、彼の営業マンとしての誇りだと信じたいところす。
そして私も、自身の書いた記事やことばに矜持を持って臨めているのか。改めて考えさせられた思い出でした。