私が思う「馬の耳に念仏」の本当の意味とは・・・・
「馬の耳に念仏」
は誰でも知っている有名なことわざです。
「馬に有難い念仏を聞かせても無駄なことから、
いくら意見をしても全く効き目がないこと」
という意味です。
ただ、これては別に幾つかの別の解釈があるらしいんです。
例えば、「念仏の価値分からない馬に念仏を唱えているような
坊主は信用できない」、
「大抵の人間は念仏の意味や価値はわからず、
馬に念仏を唱えることと同じであって、多少間違っていてもいいから
適当にやってもよい」などというものです。
このことわざについて、私が学生時代にお世話になった先生の
エピソードを話しましょう。
ある先生がゼミで課題を発表したとき、先生が彼のレジュメが
何かの本の丸写しであることを見破り激怒したことがあった。
彼が先生の質問に何一つ答えれられなかったためバレたんです。
先生は 「わかりもしないくせに安易に丸写しなんかすんじゃない。
わからないなら素直のそう言え。知ったぶりをするな」
と彼を叱り飛ばした。
ここまではどこの大学のゼミでも良くある光景です。
続けて先生は教室にる全員に向かって言った。
「”わかった” ということは、どんなに難しい物事でも、
子供にも理解してもらえるように簡単に説明できるようになることだ。
私に言わせれば、 『うまの耳に念仏』とは
馬に仏法をわからせることができなかった坊主の修行が足らんと言うことだ」。
極端ではあるが、先生の解釈は恐らくこういうことらしい。
仏教の輪廻転生の考え方では、馬は六道のなかの畜生道の世界に入る。
畜生は人の言葉がわからないため自力で仏教の教えに触れることができず、上位階層に転生できる可能性は極めてまれである。
だから人間道の坊主が、自分自身の悟りも開けず輪廻転生から解脱も
できていないのに、人間の言葉で馬に仏法をわからせることは絶対の無理。まずは坊主自身が修行を重ねて成仏し、
そのうえで馬にもわかる方法で仏法を伝えないとダメだといっているのです。
先生の極論はさておき、
イギリスの大学で 「グランドマザーズテスト」 なるものがあるという。
京都大学の藤井聡教授の著書 「プラグマティズムの作法」 で紹介されていたものです。
このテストでは自分のおばあちゃんでもわかるように簡単で実感が
伴った説明ができるかどうかが試される。
本当に理解できていれば、難解な専門用語を使わなくても
一般常識と生活感覚で説明ができるはじなんです。
昨今、他人にわかってもらおういう姿勢が感じられい
不親切な話し方をする人が増えた気がします。
難解なカタカナ用語を得意げにまくし立てたり、
曖昧な言葉で詭弁を呈する人たちのことです。
私は逆に口下手で人との会話は苦手です。
それだからこそ、せめてゆっくりとわかりやすく簡単に
話すように心がけています。