「雪国まいたけ」・・・って知っていますか?「創業者の執念」とは・・・
「雪国まいたけ」・・・って知っていますか?
1990年代の後半に流れたテレビコマーシャルで、
が、17日、東証1部に再上場を果たしました。
私が5年前にたまたま同社の本社(南魚沼市)近くを
訪れた際に、市のシンボルかのごとくそびえ立つ
13階建てのビルを見たときは、失礼ながら
その社名に似つかわしくないたたずまいに驚かされたのを思い出します。
2013年に発覚した有価証券報告書の虚偽記載や創業家と経営陣の
対立で経営が混乱した後、米投資ファンドが株式公開買い付け(TOB)
を実施し、全株式を取得して上場が廃止された頃だったように記憶している。
「雪国まいたけ」の創業者である大平喜信氏は苦労と努力を重ねて志を遂げ、成功した人つまり 「立志伝中」 なんです。
中学卒業後に職を転々としたあと、難しいとされたマイタケの人工栽培に成功し、
1083年に35歳で同社を創業。
独自のマイタケ栽培技術を開発して売上を伸ばして、
一代で全国シェアの5割超を占めるまでに成長させました。
南魚沼といえばみなさんご存知のコシヒカリで知られていますが、
「雪国まいたけ」は、ブランド米に次ぐヒット商品となって、
南魚沼市の経済と雇用に貢献しました。
ただ、今の大平氏は創業者でありながら会社に席はなくて、
株も保有していないんです。
自社の株式を担保に銀行融資を受けていて、
その返済が滞ったことを理由に担保権の行使、
経営権を奪われたことが当時話題になりました。
役員の離反、内部告発、不適切な会計処理の指摘、
経営陣との確執などを経ての事態は、
”信越キノコ戦争” とも呼ばれたライバル社 「ホクト」 (長野市)
との覇権争いを背景に、創業者の
「強すぎるリーダーシップ」 が温床になったとも言われています。
そんな状況でも、
「私はこれで終わらない。人生を捧げてきたキノコ産業の発展のために
死ぬまで頑張るつもりだ」 と決起し、
すぐさま 「大平きのこ研究所」 (南魚沼市)を2015年6月に設立、
高級な黒マイタケの生産に乗り出しました。
業界や内情は違えども、経営体制を巡り実の娘の対立が深まった末に
創業者が会社をはなれ、後に子息と 「匠大塚」 を設立した大塚家具
の一件がオーバーラップしてきますね。
さて、現在の大平氏といえば、その後を息子にゆだねて自身はカナダに渡って、そこでも黒マイタケの生産販売に励んでいるようです。
名付けた 「将軍マイタケ」 が順調に北米でも受け入れられていると
聞かれ、それを世界に広めたいとの熱意はとどまることを知らない。
こうしたあくなき挑戦欲は、 「創業者特有の執念」 とも言えるでしょう。
どれだけ見識を高めたとしても、こればかりは会社を引き継いだ
経営者がそう簡単に真似できるものではないですね。
すごい。