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ちょっと、スピリチュアルなお話になってしまいますが・・・動物には 「死」 は存在しない。

死について - 初音ミク Wiki - アットウィキ

 

ちょっと、スピリチュアルなお話になってしまいますが・・・

私も、年なのでちょっと気になって意識して書いてみました。

 

豚はお乳が12しかないのに、子豚は16から18匹生まれてきます。

それで必ず4~6頭は死ななくてはなりません。

全部の子豚に均等に乳を飲ませてみたら、

結果として、全部が弱ってしまいついには死んでしまいました。

 

ですから、動物の世界では、あらかじめ沢山産んでおいて、

その中からより元気な子豚が生き残るように仕組まれているんですね。

これは自然の法則です。

より元気なものが生き残り子孫を繁栄させる戦略だと思います。

意外な事に、全部が体温が下がって眠るように死んでいきます。

苦しそうなのは一頭もいません。

そうなんです。動物には 「死」 は存在しないんです。

では人間の場合ではどうでしょうか?

 

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インドの仏教では、死は悲しくありません。むしろ目立たないことなんです。小さな世界に閉じこもった自分が、広大無限な世界に飛び出す事なんです。

人間は生きているうちは、自分とういちっぽけな世界に閉じ込められているんです。

それが死ぬときに開放されるんです。そのあなたが閉じ込められているちっぽけな世界とは 「自意識」 とういものであるんです。

人間が死ぬときでも、自意識の強い人ほど苦しみもがきます。

 

いままで努力して身につけきたくだらないもの 「東大卒」 「官僚」 「教授」 「社長」 「金持ち」 「名誉」 「尊敬」 これが死ぬときに、一度になくなってしまいます。

一生をかけて努力して手に入れたものが死を境にして、アッいうまになくなってしまいます。

それが悲しくて人は死ぬときに涙を流すのでしょうか。

苦しんでのた打ち回るのでしょうか。

 

この人生で一度しかない体験である 「死」 を、日常的に生かすとすれば、どうすればいいのでしょうか。

死が小さな自分という殻を破って、広大無限世界に飛び出すというのであれば、私たちは、日常的に 飛び出す事ができるのではありませんか。

それを毎日の小さな死 = 「飛び出すこと」 ではないんでしょうか。

いっぱい 「飛び出す」 という体験をしている人は、お坊さんではなくても、真の悟りを得たものと言っても過言ではないんでしょう。

 

古い自分、小さな自分から飛ぶ出せない人は、成功した人を羨ましそうに見ていたり、バーチャルの世界で満足してみたり、・・・悲しい事ですね。

でも人生というのは、自分だけのものです。ですから 「死」 という大きな 「飛び出し」 のまえに、日常的に自分が飛び出す勇気を持ちたいですよね。

いままで、必死にしがみついてきたことが、ちっぽけなことに思えてきませんか。

「挫折というのは、小さな死かもしれません」

 

成功することは、これまでの読書量、性格、集中力、読解力、イメージ力、が違います。

で、自分の呼吸の速さ、集中する時間の限界、リズムとビート、これはアナタしかわかりません。

それでは、成功の最短の方法とは 

「積極的に失敗して、反省して、またトライする」 ことだと思います。