リョウガのページ

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コロナバブルで思ったこと  カネに恨みは・・・

カネの恨みは数々ござる。

コロナ禍で、生活に苦しんで知る人も沢山いるはずです。

何をしてもまず、お金の苦労話は誰にでもありますが、

文芸評論家の野口武彦氏によると、この文句の出典は

江戸時代の歌舞伎舞踊「京鹿の子娘道成寺」で唄われた一節のようなんです。

京鹿子娘道成寺

 

恋焦がれる清姫の亡霊が蛇に経変身して鐘に隠れてた美しい僧侶安珍(あんちん)を焼き殺すという物語が下敷きになっています。

京鹿子では元禄生まれの歌舞伎役者瀬川菊之丞が町娘の花子に扮して、(想いの男を隠した)鐘を前に「鐘に恨みは数々ござる。初夜の鐘をつく時は、是生(ぜしょう)滅法と響くなり」と踊ったといいます。

 

その鐘が、金という語呂合わせとなって庶民に浸透していく。

元禄に始まり、宝永、正徳、享保へと続く時代は、江戸バブル期。

当時の江戸は人口は100万人の大都市で商取引が拡大して、贅沢と奢侈(しゃし)が流行っていました。

すでに金がものをいう貨幣経済の時代なんですね。当時も「金に恨み」を持つ人々も多かったのでしょう。

奢侈淫佚【しゃしいんいつ】の意味と使い方の例文(語源由来・類義語 ...

 

享保3年(1718年)に「奢侈禁止令」(贅沢禁止令)がだされるまで元禄風俗は華美を極めます。

小袖や紋、柄は遊郭が流行の発祥地で、町娘は遊女をまねいていた。

若い女性が芸能人やセレブの服装をまねる現代も変わらないです。

鐘をつく寺院も、賽銭や寄進で集まったお金を元手に利息をつけて庶民に貸し付けていました。

井原西鶴は寺から200文を借りて、倍の400文を返すと言う倍返しの話が残っています。

今も日光の寺院に残る風習なんです。最初は慈善事業であっても、過分な利息収入を得て悦楽の声を上げるお坊様も出てくる。金が利息収入で自己増殖する様はまるで金融業のよう。

これでは「鐘」が「金」に変わっていかざるをえない。封建社会が近代資本主義はちょ移っていったんですね。

 

昨年末の東証大納会日経平均株価は2万7444円と、31年ぶりの高値をつけました。新型コロナ禍で多くの企業業績が低迷する中で、世界的な金融緩和による低金利で、運用難のマネーが行き場を失い、ハイテク株などに向かったためです。日銀が国内最大の国内株保有者になるような買い支えもあって、実体経済と大きな乖離を生んでいます。

とはいえ株式ブームは今年も続きそうです。

日本の高度成長期は「昭和元禄」といわれました。

令和3年は格差拡大、中流層の没落など「令和元禄」の雰囲気はないですが、金融緩和という面では似ていますね。

元禄の世は幕府が手元に資金を増やすために、「元禄金銀」として貨幣の質を落として鋳造

し、量を増やしていった。それがインフレにつながった。その後、正徳の世に新井白石が貨幣の金銀含有量を元に戻して、金融引き締めに転じる。日銀の金融緩和がいつまで続くのか。

あふれかえったマネーはどこに消え、次にどこへ流れていくのか。

金に恨みの多い庶民には縁遠い話ですが、気になるところでもありますね。・・・