リョウガのページ

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思い出の中の飲み物、食べ物 オロナミンC、ボンカレー 

私が、始めて大塚製薬のオロナミンCという飲料を飲んだのは、

1970年でした。

オロナミンCドリンク - Wikiwand

場所は修学旅行先の富士山麓。なぜそんな事まで覚えているのかというと、当時の値段は100円で、子どもにはとても高価な飲料だったからである。コメディアンとして一世を風靡していた大村コンさんのオロナミンCのCMを見て、飲んでみたいと思っていたんですが、中学生にとっては1本100円のドリンクを買うのは勇気が必要だった。

当初、大塚製薬はオロナミンCを滋養強壮目的の医薬品として売り出そうとしていました。しかし、炭酸が入ると医薬品としては認可されないため、あえて味を優先して、炭酸飲料として発売していた。

同じ大塚グループの大塚食品が、オロナミンCの発売から3年後の昭和43年(1968年)に発売さされたボンカレーも忘れられないものです。

 

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食欲旺盛な中学生、高校生が空腹を満たすのに格好のレトルト食品でした。ボンカレーは世界初の一般向けレトルト食品として、圧倒的な支持を集めました。

こちらのCMは女優の松山容子さん、和服の綺麗な人でした。ボンカレーは昭和らしさ満載の食品ですが、半世紀以上にわたって今も愛され続けています。

米軍の携帯食料にヒントを得て、レトルトパウチの研究に数年をかけたということですが、その甲斐があったというものです。

日本でコーラが製造されるようになったのは昭和32年(1957年)のことでした。これは、言わずと知れた国際的ヒット飲料、アメリカでは1886年以来の歴史を有しています。

一時期は、コーラはボウリングと並んで American Way of life のシンボルのような存在で、明るいコーラのCMと相まって青春の必需品のように感じられたものでした。

しかし、中学生の私は、コーラの味ではなく、コーラの運搬方法の目新しさに目をみはった。当時、他の飲料はサイダーでもジュースでも、あるいはビールでも、運搬の際にはボトルの高さよりも背の高い木箱に梱包されていました。ところが、コーラの箱のケースは、ボトルの荷重はボトル自体がが支えていた。すごい、ケースの高さが低いため空になったボトルケースの保管スペースは少なくてすむ。

なんと合理的なんだろう。私はとても感心して、この発想は他のことにも応用できると強く思った。

現在、オロナミンCもボンカレーも、もちろんコーラも私たちの日常生活の中に定着して、あって当たり前のものになってる。

それらが生活に浸透していくときには、きっと私たちの生活に、なにか新しい生活様式や考え方を持ち込んできたのだと思う。

そして、それが長寿商品の秘訣なんではないでしょうか。・・・