リョウガのページ

小さな嬉しいことを発見する、今話題のことを思う

「天明の打ちこわし」に思う、丁寧礼儀正しく狼藉つかまつりそうろう・・・

江戸時代中期の1787年(天明7年9.・・・・

全国的な大飢饉が続く中、一部の米問屋が米相場の上昇を見込んで米を買い占めたために、窮乏(きゅうぼう)にあえぐ江戸の町民たちはたまりかねて米問屋に乗り込み、抗議のため店の家財や建物を叩き壊した。

世に言う「天明の打ちこわし」です。

天明の打ちこわし : あるちゅはいま日記

 

この打ちこわしは、農民百姓一揆と違って、都市に住む町民が初めて起こした政治的なデモンストレーションでした。

江戸市中では約980軒の米問屋が襲われましたが、驚くべき事に火事も一人の死者も出なかったそうです。米蔵にあった米を路上にぶちまけたり、川に投げ入れたりはしましたが、打ちこわしに乗じた略奪は行なわれず、店の者に危害を加えることもなかった。

ターゲットになった商家の隣り近所には迷惑をかけず、前もって火の用心を済ませていました。買い占めや売り惜しみをしなかった善良な商家は襲撃せず、ドサクサ紛れに悪事を働かず、そのような行為を見かけたらみんなでこれを止め、女子供を危険な暴動に参加させなかったんです。

しかも、米問屋でぶちまけた米の代金を”適正価格”で支払ったり、高利貸しには利息を払ったうえで領収書を貰っていくなど、律儀な話も伝わっています。

打ちこわし勢は約5000人。町内や隣近所の者同士で組織化され、規律正しく行動していた。打ちこわしの目的は体制批判や幕府はの反逆ではなく、あくまでも「悪徳商人たちに社会的制裁を加え、自分たちの正義を政治に伝える事」でした。

そのため暴力や略奪、放火などの行為を互いに厳しく戒めていたのだ。当時の人々の民度の高さがうかがわれる。

鎮圧に出動した長谷川平率いる先手組の役人はこの様子に驚き、「誠に丁寧礼儀正しくろうぜきつかまつりそうろう」と記録している。(森山隆盛日記)。

さすがに幕府もこの騒動を「町民と米問屋の私的な喧嘩」として処理せざるを得ず、「御府内と申、公儀を恐れざる仕方不届け(将軍のお膝元を騒がせたのはけしからん」として、盗みや関係ない商家に押し入った者など数十人を百叩きや江戸所払いといった軽い刑に処しただけで終わった。

つまり幕府に政治弾圧の口実を与えなかったわけです。それどころか、この事件をきっかけとして、当時権勢を誇っていた幕府老中・田沼意次が責任を問われ、失脚に追い込まれることになったんです。

天明の打ちこわしが実に日本人らしい暴動な件~礼儀正しく狼藉しましょ ...

 

一方、その同じ頃、ヨーロッパではフランス革命で国王と王妃がギロチンの刑に処され、200万人もの死者を出していました。

そして今日では、デモクラシーの本家本元であるアメリカで大統領選挙の結果はの不満が爆発して、混乱が続いている。

こんなご時世だからこそ世界は、死者も略奪も放火も無かった奇跡の「天明の打ちこわし」を政治運動のロールモデル(模範)にすべきなのかもしれません。・・・