リョウガのページ

小さな嬉しいことを発見する、今話題のことを思う

1959年に起きた台所論争から60年の新たな論争・・・

1959年、

米ソの冷戦下のお話。

7月、ソ連・モスクワでアメリカ産業博覧会が開催されました。

米ソの相互理解、文化交流を目的に企画されたものである。

その開会式にリチャード・ニクソン副大統領が訪れましたが、ニキータ・フルシチョフ第一書記との間で「台所論争」が起きました。モスクワの会場に建てられた米国のモデルハウスの台所で2人が論争したことから、こう名付けられました。

台所論争 - Wikipedia

ニクソン副大統領は設営されたモデルハウス、その台所に置かれた食器洗い機、冷蔵庫など最新電化製品は、米国なら誰でも買えると話して、消費財の普及ぶりから自由主義の優位性を主張しました。兵器開発競争よりも大量生産による大衆消費社会の豊かさをアピールしたかったのです。

一方、フルシチョフはこれくらいの設備は我が国でもそろっている。米国ではお金がなければ道端で寝るしかないが、ソ連に生まれれば誰でも住宅を手に入れられる、と反論したという。

現実のソ連の消費生活はそこまで豊かではなかったんですが、共産主義国家としての意地があった。

アメリカ産業博覧会」とキッチン討論 - ロシア・ビヨンド

当時の米国は、パパは何でも知っている、うちのママは世界一、などのテレビ番組を通して、豊かな家庭生活ぶりを世界中にばらまいていました。日本においても同様で、1960年代のい米国はまだ輝くあこがれの消費生活大国に見えていました。

地方から大都市に働きに来て、やがて結婚、団地に入居し、そこで電化製品をそろえる。

子供もできて郊外にマイホームを持つことが一つの夢であった。高度経済成長はそうした夢の実現に向けてひた走り、労働者はいつしか消費者と呼ばれるようになっていました。

モスクワでの米ソ台所論争から60年余り。ソ連は崩壊し、ロシアとなった。

それでもバイデン大統領とプーチンロシア大統領とは緊張関係にあります。ロシアの民主派野党指導者ナバリヌイ氏の毒殺未遂や米大統領選介入問題などが背景にあるんでしょうか。が、それ以上に深刻なのが米中関係なんですね。

米中貿易戦争は追加課税合戦がいったんは休戦したものの、日本、オーストラリア、インドなどを巻き込む包囲網へと拡大し、習近平政権が神経をとがらせています。米国は中国の新疆ウイグル自治区や香港、台湾への威圧的な働きかけや、サイバー攻撃などを非難する。一方、中国に進出している日系企業数も多く、日中経済関係は密接です。

自由で公正な貿易体制の発展を望んでも、経済制裁などで米国と足並みをそろえることは難しい。政治と経済、安全保障のバランスをどうとるのか。当事者の一人として、米中の覇権争いとぼやいてもいられない。