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永井荷風 軍靴の響き 今のコロナに思う

永井荷風 軍靴の響き

軍靴の響 千葉泰子詩集 - bookface's diary

 

永井荷風は大正7年(1918年)11月と大正9年(1920年)1月の2回にわたって、スペイン風邪(A型インフルエンザウイルス)にかかったとみられる。

当時のことは氏の日記「断腸亭日乗」に記載されています。とくに2回目は体温40度に昇る、熱去らず。こんこんとして眠をむさぼる と病状は重く、とうとう、病床万一のことをおもんばかりて遺書をしたたむ と覚悟するほどであった。まだ42歳のときである。

第一次世界大戦の最中、1918~1920年に世界的に流行したスペイン風邪では、世界で2000~4000万人(一説では6000万人とも)が死亡したと言われています。日本でも40万人前後が死亡し、東京駅設計で知られる建築家の辰野金吾氏、劇作家の島村抱月氏もその犠牲になりました。当時の政府は対策としてマスク着用、うがい、室内換気、患者の隔離を呼びかけました。アクリル板の設置、マスク会食などが加わった今とほとんど変わりないです。

外出自粛、休業要請、集会・イベントの禁止や営業時間短縮。緊急事態宣言やまんえん防止等重点措置を発令する政府。監視する自粛警察がはびこり、欧米ではアジア系へのヘイト問題が起こっています。コロナに名を借りた民族差別、弱者いじめが横行する。

第4波となれば、非常事態ごころか戒厳令的な規制を臨む人たちも出てきそうです。

新型コロナの実態をつかめないうちに、変異株が出現して置き換わっていく。見えない敵はさらに正体がわからなくなっている。そうした事態への対応策も従来とそう大きく変わらない。頼みのワクチンは、医療従事者から高齢者への接種へとようやく進もうとしていますが、65歳未満の接種に向けたワクチン確保はいまだ見通せない状況にあります。聖火リレーが東京に到着するまでに国民はワクチン接種できるんでしょうか。大本営発表ではないけれど、正確な情報が適時開示されているのかも、疑問です。

現代史研究家の保阪正康氏は新型コロナによる経営破たんや格差拡大、人心の乱れが、全体主義を呼び込みかねないという懸念があります。1929年10月の米ニューヨーク証券取引所の株価暴落から始まった世界恐慌。不景気は世界に広がり、日本にも押し寄せました。しわ寄せは都市の末端労働者や農民へと集中していった。その苦しみや怨嗟(えんさ)の声が軍内の青年将校らの国家改造運動に正当性を与えた、とし、5・15事件などを経て、ファシズム体制へと時代精神が変化していったと分析しています。

経済が後退する今、同じ道をたどらないよう歴史を読み返したい。