リョウガのページ

小さな嬉しいことを発見する、今話題のことを思う

暇だからもっと、読書しようっと。

今日は、土曜日休み。

感染もまだ猛威を振るっているので、あちこち動かずおとなしくしていよう。

昼食を買いに行ってその後家でごろりの一日。昼食も、残りの白米えおチンして

後は、インスタントラーメン(袋麺)に買ってきた29円のもやしを入れて49円のメンチコロッケで、80円ほど。家にある生卵をご飯にかけて卵がけご飯で栄養を摂る。

 

何か暇。

暇なときに思うことは、仕事でも勉強でも、プレッシャーがかかったり期限がせまったりすると、いつも目の前の問題ではないことに時間をかけてしまう困った癖があります。

 

まるいものが好き Twitter ನಲ್ಲಿ: "ジッド『狭き門』 遥かな名著 ...

 

 

学生のときでいえば、試験。期末試験のべ勉強をしなくてはならないのに、ついつい小説に熱中してしまったりする。小刻みにあと30分したら・・・と自分に言い訳しながら、読みふけってしまう。毎学期必ず中間試験、期末試験があるから、おかげでずいぶんと読書が進んだような気がする。

中学生のとき、実際の恋愛とは縁がなかったので、恋愛小説にのめりこんだことがあった。エミリー・ブロンデの「嵐が丘」は、激しい愛の内容で、ひきつけられ、息もつかせず詠み進んだ。その余勢で、アンドレ・ジッド 「狭き門」に取り組んだ。しかし、これは実のところ、よくわからなかった。篤信のアリサとジェロームの愛は、キリスト教に縁のない田舎の中学生の理解を越えていた。ただ、題名の「狭き門」の意味が、多くの人が、押し合いへし合いして希望する、競争率が高い、受験のような「狭き門」ではないことだけはよくわかった。

新約聖書の「マタイによる福音書」には「狭き門から入りなさい。滅びに通じる門は広く、その道は広々として、そこから入る者が多い。しかし、命に通じる門はなんと狭く、その道も細いことか。それを見出す者は少ない」とある。

人生では、二者択一、選択を迫られる局面が多い。「マタイの福音書という「狭き門」というのは、あれだったのかなあ」という選択の経験を、今までに何度かした。

広い門と狭い門、安易な道と苦難な道。舗装道路とデコボコ道。

美空ひばりの名曲「川の流れのように」には「デコボコ道や曲がりくねった道、地図さえない、それもまた人生」とある。ただ、その選択が、自分にとって大きな意味を持つという意識もなくて結果的に重大な選択をしてしまうことは多い。

映画やドラマでは重大な選択のときは、それとわかるBGMが流れて、ナレーションが入る。しかし、実人生では決してBGMやナレーションがはいることはないでしょ。

その選択や決定が、重大なものであるという、小説でいえば伏線という「しるし」が何もないことが多い。

十代では、「狭き門」のヒロイン、アリサのことはとても理解できなかったが、マタイの福音書にいう「狭き門」というものがあるということを知った。そして、そのことはとてもありがたかった。そいうい出会いがあることが、読書を薦める所以ですね。

暇だからもっと、読書しようっと。