リョウガのページ

小さな嬉しいことを発見する、今話題のことを思う

大谷翔平選手の「楽しい一年だった」の言葉の裏にあるもの。

米大リーグで投手、打者の二刀流として大活躍した、

皆様ご存知の大谷翔平選手。

アリーグのMVPに選ればれました。

 

大谷翔平がひたすら絶賛される8分間ムービー完成 大物24人が ...

 

 

大谷選手はシーズン終了直後のインタビューで

 

より多くの試合に出られたのは単純に楽しかった、

 

やりがいのある楽しい1年だった、

 

と、何度も楽しいという言葉を口にしていました。

 

打者として打てない、投手として打たれたときは落ち込むが、

 

1年を通して多くの試合に出られたことを「楽しかった」 と率直に喜んでいました。

 

楽しく仕事をしようと口で言うのは簡単ですが、毎日楽しみながら出来る仕事など、

 

そうざらにあるものではありませんし、大谷選手のように「楽しい」と言い切る

 

メンタリティの持ち主はそういるものではありませんね。

 

アメリカの少年少女小説トム・ソーヤの冒険」にこんな話があります。

 

ある日、トムは叔母から塀のペンキ塗りの仕事を命じられ、トムガペンキ塗りを始めた時、

友人数人が通りかかり「天気のいい日にペンキ塗りかい。ご苦労さん」と

 

トムをからかう。

 

しかし、トムは気にせず「ペンキ塗りの面白さを知らないから、そう思うのさ」と

 

楽しそうに仕事を続ける。

 

それを見ていた友人達は、「確かにそうだな、ちょっとやらせて」と、

 

話しかけ、トムは友達にはけを渡す。

 

そして友人達はペンキを塗り始め、トムは何もせず見ているうちに仕事は予定の

 

半分の時間で終わったっていしまったというお話。

 

文字通り「子供だまし」に違いない。

 

しかし、この時、子供達にとってペンキ塗りの作業は仕事だったのか、遊びだったのか、

 

そう考えたとき、大人の世界でも楽しく仕事をするという理想について考えさせらます。

 

このトム・ソーヤの話を引用して「仕事と遊びという二つの領域を個別のもの、

 

対立概念としてとらえる傾向がありますが、この話を掘り下げて考えてみると、

 

二つの境界線を単純に引いてしまうのは問題という考え方も出来るのでは、と問う人もいます。

 

そこには仕事は苦痛で、遊びは楽しいと考えが根本にあります。

 

しかし、トム・ソーヤの話のように仕事は楽しいと考えれば、また見える景色も変わってくる。

 

物事には、これを知る、好む、楽しむという三段階があるといわれています。

 

何事も一生懸命やっていれば、違った風景が見えて、面白く、好きになっていく。

 

楽しく仕事をするのもそうした一歩ずつの歩みからはじまるのです。

 

新入社員諸君。

 

でもいやなものはいやだけど・・・