リョウガのページ

小さな嬉しいことを発見する、今話題のことを思う

食事はただ食うだけではないんですね

最近、食欲があって食べる物がとってもおいしいんです。

 

そういえば、昨夜、スーパーでパックに入ったあんこうを買って、

 

なべにして食べました。おいしかった。

 

鮟鱇の骨まで凍ててぶちきらる。この句が読まれたのは昭和20年代、

 

商店街に鮮魚店(魚屋さん)が普通にあって、料理人がまだ鮟鱇の吊るし切りを

 

していた時代なんですね。魚は今はスーパーで切り身にされて置かれています。

 

あの平べったい身体に大きな口のグロテスクな深海魚・鮟鱇の吊るされている姿を、

 

最近の若い人たちは見たことがないでしょう。私もテレビでしか見たことありませんが。

 

食事をしながら、考えた。日本人の食は変化しているって。米を主食に魚や野菜を副食にした食卓は、高度経済成長とともに遠ざかっていきました。

 

戦後、政府が米を買い上げる食糧管理制度によって、農家は安心して米作りを進めてきたんですね。

 

しかし、食生活が変化して、米が余るようになってくると、農業政策は減反へと一転するです。

1995年には食糧管理法が廃止されて、町から米屋も姿を消すようになりました。

 

朝食はパン、昼はラーメン、夜はパスタと、和食・米離れが起きています。

 

f:id:yasuhirokamei0912:20211214230142j:plain

 

 

 

商店街の魚屋さんはスーパーやコンビニの台頭の影響も受けてきた。核家族化、

 

単身赴任、独居生活といった暮らしの変化は、個食や孤食の増大につながって、料理

 

するより弁当を買う方が便利という選択、食の合理化を進めています。尻尾、頭のない

スーパーの切り身どころか、フライになった魚しか見かけなくなりました。

 

コンビニ弁当は確かに便利です。スーパーの切り身も包丁でおろす手間が省けます。

 

都市圏生活者にとっては、魚はめんどくさい。より安く便利なものを求めて行きついた

 

世界が今なんですね。鮮魚店の主人に旬の魚を教えてもらったり、料理の仕方を学ぶことはなくなったが、調理食品や冷凍食品、お惣菜に囲まれた食生活もそう悪くはないです。

近海の漁獲量が減って、サンマが高級魚になる時代です。カルシウム、DHA、EPA

 

もサプリで摂取できるようになりましたし。

 

通う魚屋さんがなくなり、商店街の活気が消えて、消費者は週末に郊外の大型ショッピングセンターを目指すんです。

街道沿いには大型電気店や巨大ホームセンターが建設されて、ファミリーレストラン

 

回転寿司といった外食チェーン店も立ち並んでいます。

 

こうした変化は個人小売業を疲弊させて、様々な分野の大型量販店が主導権を握るという構造を生んでします。

 

大口需要者であるがため、価格交渉力にも優れ、居給するメーカーも無視できないでいる。

魚といった生鮮食品は販売期間が短くて、経営の論理で売れ残ものは店頭から排除されていく。

スーパーの店頭で魚類が少ないのはそれゆえでしょう。

 

「鮟鱇を煮て面白き話せん」(清水基吉)。

 

食事はただ食うだけではないですね。(孤独のグルメは別)

食材探しも、実は楽しみなんです・・・

 

明日は何を食べましょうか。