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マリー・アントワネット ベルサイユのばら50周年に思う

 

来年2022年、「ベルサイユのばら」の誕生から50周年です。

 

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ベルサイユのばらといえばオスカルとアンドレですが、

 

フランス王妃、マリー・アントワネットも忘れてはいけません。

 

フランス革命の原因は、マリー・アントワネットが贅沢三昧に明け暮れて、

 

国家財政を破綻させたためだ、といわれていますね。

 

しかし、本当はそうではないらしいんです。

 

当時のフランスはヨーロッパ最大の農業国でしたが、爆発的な人口増加に対して、

 

農業技術の遅れから生産性が低くて、食糧事情は厳しいものでした。

 

1783年にはアイスランドのラキ山が大爆発して、ヨーロッパ全土が何年も

 

異常気象に見舞われたせいで農作物は全滅して、小麦やパンの値段は高騰しました。

 

餓えた失業者がパリに押し寄せて、食糧暴動が日常化していました。

 

その頃、フランスはアメリカ独立戦争義勇軍を派遣していましたが、

 

遥か新大陸は投じた膨大な戦費によって、財政危機に陥ってしまった。

 

公債だけではまかなえず、増税でも赤字は埋まらなかったんです。

 

1787年、天候がやや回復してつかの間の豊作となったのをいいことに

 

フランス政府は財政赤字を補填すべく、余剰の小麦を近隣諸国に全部売り払って

しまったんです。

 

目先の金欲しさに食糧備蓄を怠るという致命的な失策を犯してしまいました。

 

翌1788年、案の定、再び猛烈なかんばつに襲われて、全国的に餓死者が続出しました。

 

政府はあわてて外国から小麦を買い戻そうとしましたが、足元を見られて高く買わざるを得なくなり、いよいよ財政破綻寸前にまで追いつめられました。

 

政府は特権貴族やブルジョアジーはの増税を強行しようととしましたが猛反発にあって

 

頓挫、民衆の怒りが頂点に達して暴動がエスカレートしました。

 

そして1789年にフランス革命が勃発するんです。

 

こうしてみると、マリー・アントワネットの浪費だけがフランス経済悪化の原因であったとは考えにくい。

主因は異常気象により飢饉とアメリカ独立戦争の戦費、特権貴族の浪費、そして財政ガバナンスの欠如です。

 

その後、マリー・アントワネットはギロチンの露と消えますが、それはまた別の理由によるものです。

故国オーストリアはの逃亡の発覚と内通が疑われ、ヴァレンヌ事件、8月10日事件

これが民衆の眼に裏切りと映ったためでした。

 

革命当初のスローガンは 国民、国王、国法、であって、革命家や民衆の多くが

 

君主主義者でしたが、国王家への絶大な信頼はこの二つの事件で失墜してしまったんです。

 

やんごとなきこととはいえども、民衆の尊敬と信頼を失えば石でも追われるは古今東西の必然。

 

ベルばらのように美しく散る。ような感じにはいかないんですね。