正解のコモンセンス
今日は雨で憂鬱。なんだか梅雨にでも入ったような感じです。
憂鬱といえば、円安が進んでいます。世の中で、円安に進むと儲かる企業(輸出企業)
と儲からない企業(輸入企業)があります。輸出企業は、輸入企業よりも事業規模は大きく難しくて優秀です。
対して輸入企業は、誰でもできる中小企業がほとんどです。
日本の95%が中小企業ですから、円安は一部の企業しか潤っていないでしょう。
しかし、輸出立国である日本は、円安になったほうが国益としてはいいという政治家や、日銀がいっています。
おそらく政治や経済の世界には正解はないんでしょう。人それぞれ利害が異なって、
立場の違いによっても評価基準を異にするからでしょう。
テレビでドルが上がったから、きゅんです! というFX(外国為替証拠金取引)の
景気のいいCMが流れていました。だけど、ドルが上がったから、しゅんですと、
相場の読み間違えを嘆く人も必ずいます。
自由平等、人権尊重、暴力反対、といった現代人のコモンセンスも、中世の人からすれば奇妙な考えに映るんでしょうね。
時代によって人の価値観は変化する。19世紀に最大多数の最大幸福をもたらすものが
善と提唱した功利主義創始者のジェレミー・ベンサム。個人の幸福の総計が社会全体の
幸福であって、社会全体の幸福を最大化すべきと示しました。
でも、そもそも幸福は量として計測できるものかという疑問が生じてきます。
幸福感も人によって異なります。
社会全体の幸福の最大化をい図る試みは、ある面で現代の民主的選挙制度に通じる
ものがあります。いわゆる選挙は民意の象徴というわけです。しかし、社会全体の
利益を追求するあまり、個人の犠牲を強いることは正解ではありません。選挙で当選
した人が、選ばれたことをよりどころにしてあらゆることを決定する権利を持つと
主張するのも、正解ではないでしょう。
宗教や道徳、社会的地位、民族性などさまざまな要素によっても差異は生じます。
今のロシア・ウクライナ戦争のように。
グローバル経済という市場メカニズムの進展は、世界の人々を幸せにしたのか、
それとも経済格差を広げただけなのか、という議論もあります。富める人(国)は
より富むが、持たざる者は一方的に搾取されるという構図です。持てる者の自由が、
常に不利な立場に置かれる持たざる者たちによって支えられているのなら、それは社会的平等とは程遠い世界です。
米国は人工妊娠中絶を巡る憲法解釈の判例を覆す最高裁の判断草案が報じられて以来、
社会が二分されています。1973年に最高裁は女性が中絶する権利を認めましたが、
キリスト教福音派などの共和党支持者は中絶に反対の立場をとってきました。
トランプ前政権時、最高裁で保守派判事が多数を占めたために、中絶を女性の権利とする民主党支持者との間で新たな分断を生みました。どちらが正解か・・・。
ものごとはそう単純ではない。解決すべき課題も多い。その中で正解を導くことは
なかなか難しいことですね。最大多数という一見わかりやすい判断基準も、
完全なる正解にはつながらない。
1+1が2ではない。それが人間の社会なのかもしれませんね。