千利休 生誕500年
昨日 「YOUは何しに日本へ」と言う番組がやっていました。
日本に来る外国人に突撃インタビューして、日本に来た真相を聞くテレビ。
これとても好きで毎週見ているんです。外国人の日本愛を見るのはとても面白いですね。
きのう、スウェーデンの青年が日本の緑茶が大好きでその活動を放送していました。
日本がとても好きな様で日本語もぺらぺら。特に日本茶愛が半端じゃなくてすごい。
日本人より日本茶のことを詳しく知っている。お恥ずかしい・・・
私もお茶は大好きで、健康的で毎日飲んでいますが、そのお茶を飲みながら・・・
お茶のお話。
今年は1522年に堺の商家に生まれて千利休の生誕500年になります。
京都市にある野村美術館では特別展として、千利休生誕500年を記念して
千利茶の湯の確立展が開催中です。東京の国立能楽堂では先月に生誕500年を
記念して千利休や茶道、茶器にゆかりのある能と狂言を特集していて、他にも
利休ゆかりの地で多彩な記念行事の開催が予定されています。
利休といえば わび茶。室町時代に発展した茶の湯は、戦国大名の間で茶会として
流行った。当時は中国から伝わる豪華な茶碗(唐物)が価値あるものと尊ばれていたんですが、利休の師匠あたりから庶民が使うような質素な茶碗に わび というイメージ
を当てて、価値を見出そうとし始めました。そして利休は わび茶 を完成させて世間に広めました。
わび とは百科事典によると 日本人の美意識の一つで貧粗・不足のなかに心の充足
を見出そうとする意識、とありますが、「わび」「さび」に代表される日本人の美意識
を失いつつある現代の日本人がこの説明を読んでもなにかしらしっくりこないかもしれません。
利休が追求した 「わび」 とはどのようなものだったのでしょうか。
わび のイメージは、利休と秀吉とのエピソードから感じ取ることができます。
ある初夏の朝、朝顔が美しいので茶会にきませんか、と利休は秀吉に使いを出しました。
秀吉は、満開の朝顔を眺めて茶を飲むのは素晴らしいだろう、と楽しみにやってきたんですが、庭の朝顔はことごとく切り取られていて、一つも残っていなかった。
その光景に落胆した秀吉が茶室を覗くと、床に一輪の朝顔が生けてありました。
一輪であるがゆえに美しさが際立ち、秀吉は利休の美学に脱帽したという。
利休は黄金の茶室のように、派手で豪華絢爛なものだけが美ではない、余計なもの
をすべて削り落とし、質素で簡素なものにこそ、誤魔化すことのできない究極の
美があると言いたかったんですね。
利休は、独創的な茶碗を作りだしたわけではなくて、元々あった簡素で粗末な茶碗を
取り上げて、そこに美を見出した。これならば大衆も楽しむことができて、茶の湯は
文化として発展しました。
クリエイティブのヒントがここにあります。 新商品開発というと頭を抱える人も多い
でしょうが、利休がありふれた茶碗に光を当てたように、光の当て方一つで商品を
変えることができる。そこに価値を見出すことも、クリエイティブといえるんでは。