リョウガのページ

小さな嬉しいことを発見する、今話題のことを思う

文天祥と耶律楚材。

時のたつもの早いもので、今年も1年の半分が過ぎました。

 

いつも、NHKの大河ドラマを巻いているのですが、年末の採最終回まで

 

あと半分弱しかないのは、早すぎて少しさびしい気分。

 

今年の大河ドラマ 「鎌倉殿の13人」は鎌倉時代と言うこともあって

 

面白いですね。この時代の少し後の時代のことなんですが、13世紀中国

 

南宋最後の宰相で、有名なのが 文天祥(ぶんてんしょう)。

 

忠臣の鑑として、日本の幕末維新の志士たちからも崇拝されていました。

 

そのお話。

 

当時の宋は経済大国で、高い文化を誇っていましたが、軍事力はからっきしで、

 

辺境異民族の遼や金にも負けて華北を失うという体たらく。江南に引きこもって

 

南宋を再興したものの、中華帝国とは名ばかりに落ちぶれていました。

 

そこへ遼や金よりもさらに強大なモンゴル帝国が攻め込んできたからたまらない。

 

南宋は風前の灯火で、どうあがいても負けるに決まっている。すでに丞相(じょうしょう・首相)の買似道(かじどう)は罷免されましたが、誰も後任の丞相(首相)になろうとははしませんでした。

敗軍の丞相になろうとしなかった。そこで敢然と立ち上がったのが文天祥です。

 

主戦派の文天祥はこれまで、対モンゴル強硬論を主張して弱腰な朝廷から疎んじられ、

 

任官と罷免を繰り返していました。

 

丞相を引き受けた天文祥は徹底抗戦を続けたものの、所詮、蟷螂(とうろう)の斧。

 

モンゴル軍に捕らえられ、クビライ・カーンの前に引きずり出されます。その時、

 

文天祥を得難い逸材と見抜いたクビライは、宰相への登用を条件に降伏を迫りました。

 

しかし、文天祥は毅然としてこれを拒絶しました。

 

文天祥がクビライへの返答として送った過零丁洋(零丁洋・れいていようを過ぐ)の

 

詩には、人間は誰でも死ぬ。同じ死ぬのなら忠義を尽くして歴史を照らし,後世の模範となろう、と記されたいました。

たとえ死ぬことが分かっていても、南宋が滅んでも、忠義の志高く、その名声を歴史に

 

残すことさえできれば、身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあるというものだ。

 

クビライはこれより前に、捕虜となった南宋の将軍たちも簡単に降伏した理由を尋問

していましたが、買似道が我々武官を軽んじたからだ、と恨みごとばかりで、

 

お前たちを軽んじたのは買似道であって宋の皇帝ではない。それなのに皇帝に忠節を

 

尽くさなかった。お前たちが軽んじられたのは当然だ、といきどおっていました。

 

だから尚のこと、文天祥より少し前の時代、遼の王族の子孫でだいだい金に仕えた

 

漢人貴族の耶律楚材(やりつそざい)は、チンギス・カンに重用されてモンゴル帝国

 

宰相として活躍したとされています。実際は漢文担当の行政書記官に過ぎなかったようですが、実務官僚としてモンゴル帝国の中国支配体制に税収による財政制度を導入し、

モンゴルの野蛮な破壊と略奪文化から漢民族を守ることに徹したのは事実だったらしい。

 

最後まで南宋に忠義を尽くし、結果よりも動機の高たかさを重んた文天祥と、

 

無節操と非難されながらもモンゴルに仕え、漢民族救済に尽力して結果を残した

リアリストの耶律楚材。

現代を生きる私たちは同じ立場に立たされたとき、どのように身を処すべきでしょうか。

答えは容易に見出せそうにない。

 

文天祥「正気歌」 : 将門Web