体制と庶民
今日は、前回の続き。
歴史ドラマでは、戦国時代がよく取り上げられますね。
戦国といえば、激動の時代。従来の社会秩序が解体されて、新しい秩序、
体制が形づくられていきます。そこに登場する人物も生き生きとして個性的で
個々に大きな夢を抱いていました。信玄、謙信、信長、秀光、秀吉、家康、政宗
たちの野望と挫折。下剋上と上剋下。君主と家臣の相克(そうこく)、
強運に導かれた立身出世物語は、今の世にもよく通じるようです。その辺りにも
戦国ドラマの魅力はえるのでしょう。
武家政権の始まりは鎌倉時代。将軍と御家人の関係は「御恩」と「奉公」。
御恩があるからこそ御家人は奉公するわけで、無条件に主人に従うという考えはありませんでした。
室町時代になって将軍は京都に幕府を移しましたが、細川、山名、畠山、斯波(しば)
といった力のある大名は幕府政治に関与していました。重臣である実力派守護代が
主君の守護大名よりも権勢を強めるといった動きがみられて、応仁の乱、戦国時代へと突入していきます。
重臣が主君を襲う下剋上の内乱が地方大会とすれば、トーナメントを繰り返して
県大会、全国大会へと試合は進みます。その最終戦が秀吉と家康の東西頂上対決で、
ようやく統一権力が形成されていきました。江戸時代以降は統一権力の傘下での生き残りの世に固定化されていきました。
何笑う声ぞ夜長の台所(子規)。夜の台所から聞こえるのは、くったくのない女達の笑い声。
東京に母と妹を呼び寄せて、子規は小さな幸せをふとかみしめたのでしょうか。
一日は何をしたやら秋の暮れ。今日一日、何をしていたのだろう、と思い浮かべる句は
のんびりした様子に見えますが、数年後に脊椎カリエスが発症する子規を思えばそれだけではないでしょうね。
死の前日、糸瓜(へちま)咲いて痰のつまりし仏かな、と詠む。糸瓜の水は痰切りの薬効があるといわれていて植えていましたが、それほどの効果はなかったようです。
仏とは遺体のことですが、死が近いわが身を冷静に見ています。
明治の世、子規という一人の庶民にも近代俳句という夢があって、闘病という戦いがあった。
昭和、平成、令和と元号は変わってきましたが、この間、何がどう変わってきたのでしょうか。
家電製品がより便利に、コンパクトになったのは確かです。鉄道も新幹線からリニアへと速度を上げる。
そうそたモノの変化ではなくて、もっと人間の本質的なものについては、何一つ変わっていないように思えます。
信長の頃でも、太平洋戦争の頃でも、庶民の生活というのはその時代の体制という枠組みの下に組み敷かれてきました。
そこで精一杯生きて、やがて死んでいく。その体制もいずれ崩れて、新たな支配体制
へと移り行くのです。