リョウガのページ

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伝統を次代につなぐためにやっていること「日本に行きたい」

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いしげ結城紬(つむぎ)は茨城県常総市で生産された正絹紬です。

江戸時代後期、農家のてによって木綿織りがつくられたことが始まりといわれている。以後、いしげ結城紬常総市の主要産業となって、茨城県郷土工芸品に指定され、現在は国の伝統工芸品指定を目指しています。

 

本場結城紬との一番の違いは、工程の一部に機械を使い、技術の合理化が図られている点。本場結城紬最大の特長である、「糸取り」は専門の器具を使って、真綿から動力を使い手で引き出す。

それでも ”真綿から引き出す” ことに変わりはなく、軽くて暖かい生地の特長は同じだ。

製織は自動織機。織機の稼動には手仕事とは違う技術力が求められるのは言うまでもない。

このように技術の合理化から本場結城紬と比較して値ごろな価格で流通するいしげ結城紬であるが、生産に関わる問題を抱えている。

「産地の問題は、第一に職人の高齢化です。需要バランスが崩れたことで、多くの工場は長期にわたり若い人材を雇用できず、人を育てることが出来ませんでした。

現在はなんとか後継者を育てようと産地を上げて取り組んでいる次第です。」と話す。

2005年につくばエクスプレスが開業、沿線には工業団地もできました。交通アクセス、さらに賃金面も優位な工業団地に織物業から人材が流出し、求人環境は厳しさを増しています。

それでも、伝統の織物に携わりたいという若者はまだいます。

今年春、織物工場に25歳の若者が門を叩いた。

美大を卒業して、織物製織やりたいという。技術者は出来高制で働くが、彼女には時給で給与を支払うことにした。

時給制で働くことで、月の仕事量によっては出来高制で働く熟練の技術者の賃金を上回る。

出来高制ですと見習いの間は稼ぎになりませんから、収入を得る前にやめてしまうかもしれません。せっかくやる気をもって来てくれたのに、お金の問題でやめられては実にもったいない。私たちの工場も、産地も、人を育てていかなかれば未来につなげることはできません。」

織物工場を覗くと、25歳の新人が昭和時代のアナログの織機と対峙し、思うように動いてくれないと苦悩の表情を浮かべていた。

その横で熟練の技術者が手取り足取り指導を行なっていました。

この光景がやけに美しく見えたのは、それが古き良き昭和の風景のようにもの珍しくなってしまったからでしょうか。

テレビ(テレビ東京の「日本へ行きたい」)でもよくやっていますが、外国人が訪日して日本の伝統芸を尊敬し学び取ろうとしているのには、いつも感動します。