リョウガのページ

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現代の事業継承の難しさ 沈壽官に学ぶ

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こんにちは。

以前、百貨店に行った時、展示会で沈壽官(ちんじゅかん)という陶器をまじかで見たことがある。

何代目の作品かは記憶のないが、白薩摩と言われる乳白色で細かい透かし彫りがほどこされている20Cmほどの香炉であったが、展示が百貨店であったことから、作品は美術館のようにガラス越しではなく、本当に目の前で見ることができた。

その美しい色合いと精細な細工は、まさに息を呑むような美しさでした。

沈壽官は広く知られているように、1598年に薩摩(鹿児島県)の島津義弘が朝鮮から連れ帰った陶工の沈(ちん)一族を祖先とし、以後400年間に渡り薩摩で代々陶器を製作して、薩摩焼を確立しました。

とりわけ第12代(1835~1906)は透かし彫り技術などを考案して、ちょうど明治期にもあたって、海外の博覧会などに出展され日本を代表する焼き物として絶賛を浴びました。

今年6月に14代が逝去されて、当代は15代目にあたるそうです。

司馬遼太郎の名作「故郷忘れじがたく候」(1968年)は、代14代沈壽官との交流を描いたもので、その中で印象的な箇所があります。

それは、14代がまだ若かった頃(したがって襲名前)、家風の継承と護持に充足し切れなきなくなり、「自分は何のために生きているのか」と苦悩していたなか、13代(実父)に向かって、他の陶器家のような、いま流行の展示会作品を作りたいと申し出たという。

これに対して13代は「(自分も)若い頃は、個人の名を華やかにしたいと思ったことがあったが、しかしながらそれに何ほどのことがあるのだろう。沈家の十数代は山脈のようなものであって、祖先のものを伝承しているだけに見えて、ひとりひとりは山脈を起伏させている峰峰もたいなものだ」と論じて、重ねて13代は

「息子をちゃわん屋にせえや。わしの役目はそれだけしかなく、お前(14代)の役目のそれだけしかない」と言ったとうい。

沈家は400年以上にわたり、実子が家業を継承してきた。「ちゃわんを作る」という、いたって地味な仕事が他の夾雑物(きょうざつぶつ)を押しのけて連綿と続いてきたことに感動を覚える。

最近は事業継承の話題に事欠かない。

銀行、証券、役所、公的機関、法律事務所をはじめとするコンサルタント業者からの案件が飛び交っている。

日本は戦後74年を経過し、高度成長期に創業したり、事業を拡大したりした経営者の多くが80歳代を迎えて、事業継承はまさに待ったなしの状況です。

とはいえ、継承にあたっては、経営者個人の思いや一族係累者への配慮、さらに資産負債状況も見据えなければならない。

既に継承者への引継ぎを終えた、あるいは事業継承の道筋が決まっている場合は安心だろうが、そうではない経営者の苦悩はどれほどであろうか。

沈家15代の歴史は、継承するという大事について改めて考えさせられることでしょう。