リョウガのページ

小さな嬉しいことを発見する、今話題のことを思う

日本人の心から遠ざかっていくのかもしれませんね

こんにちは。

最近の日本人の心を疑うことがありました。

ちょっとそれをはなしますね。

昨年末に、久しぶりに忠臣蔵を描いた映画が公開されました。

以前は年末になると忠臣蔵の映画やドラマが放送されたものでしたが、最近はめっきりと見かけなくなりました。

ところで、高校の歴史の教師をしている知人が嘆いたいました。

さきごろ授業で、生徒たちに赤穂浪士討ち入りの話しを知っているかと聞いたところ、40名のどの生徒はみんなぽかんとしてるんです。

 

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どうやら、誰一人として知らなかったようです。

教室では驚きの反応が続くんです。

教師は黒板に ”忠臣蔵” と書いて、最前列中央に座っている生徒に読み方を聞いた。その生徒は ”ちゅうしいぞう” と答えたんです。

次に、その後ろの生徒のも尋ねたら ”ただしんぞう” と。

さらにその後ろと続くが、5人目の生徒がようやく正しい読めたそうなんです。それは、映画のCMを見たことがあるからだそうです。

先生は、物語の概要を話聞かせたんです。

ちょっとおさらいすると、

時は1701年3月。幕府が天皇からの使者をお迎えし、おもてなしをしていたが、接待係に任命されたのが赤穂藩主・浅野内匠頭。その指導係が吉良上野介だった。

こういう場に慣れない浅野を、吉良が馬鹿にしたことが事件のきっかけとなる。

浅野は怒り心頭に達する。江戸城松の廊下で吉良が、他の旗本と儀式の打ち合わせをしているとこへ浅野は吉良の背後から忍び寄り、脇差しで吉良を斬りつけようとして取り押さえられた。

城内で刀を抜くことは御法度。

当然、将軍は激怒する。

浅野は即日切腹となり、吉良はおとがめ無し。

赤穂藩はと取り潰しとなり、赤穂の家来たちは全員城から追い出された。

主人のいない浪人(浪士)となってしまう。この裁定に納得いかない家来たち47人が浅野のかたきを打つため立ち上がった。

そして翌年の12月14日、吉良宅へ押し入りかたき討ちを果たした。

もとより47人は切腹覚悟。事件後にいさぎよく切腹を受け入れた。最後まで武士らしく生きる道をつらぬいた美談として、300年以上にわたり語り継がれてりると先生は熱弁したんです。

ところが生徒たちからは、さらなる驚きの反応が返ってきたという。その反応は、以下のようなないように集約されます。

・浅野さんは無責任だ。頭に血が上ったことが大勢の家来を路頭に迷わせた。

・所詮は宮仕え。いやなことはいくらでもある。ましてや浅野さんは藩主だから、こらえるのが大人。無自覚すぎる。

・そんな無責任藩主のかたき討ちに、自らの命を懸けるなどナンセンスだ。そのようなことに血道をあげるより、再就職先を探すべき。家来たちも養う家族がいるのだから。

 

言われてみれば、生徒たちの感想には一理あるかも。

かつて、日本人なら知らぬ者はいなかったこの物語は、日本人の心から遠ざかっていくのかもしれませんね。