ユーゴスラビアで思い出した「石の花」に思うこと
こんばんは。
20年ほど前に仕事で 「雄吾」 さんという名前の方と名刺を交換した。その時のことを。
念のため 「なんとお読みするのですか」 と質問したところ
「 ゆうご 」と読みます。
父が商社マンで、ユーゴスラビアに長く駐在していたので、そこから名前を取ったそうです」。
さらに聞くと、お父さんは豪快な方だったようで、サウジ・アラビアに駐在していたときは、自宅でお酒を飲んでいたとき、それをメイドに警察に通報されたムチ打ちの刑(!)をうけるという経験もなさったとのこと。
今はもう、世界地図上にユーゴスラビア(1929~2003)という国名はない。バルカン半島と呼ばれる、この旧ユーゴスラビアの領域を含む地域は歴史的に多くの民族や宗教が交ざりあって、加えて近年においてはオスマントルコ帝国のとオーストリアハンガリー帝国という大帝国の支配下にあった。
俗に「ヨーロッパの火薬庫」とも呼ばれるほど地政学的に複雑な地域であったんです。実際に旧ユーゴスラビア社会主義連邦共和国は「一つの国家、二つの文字、三つの宗教、四つの言語、五つの民族、六つの共和国、七つの国境」と称されるくにだったんですね。
雄吾さんと会った頃、私はちょうど坂口尚(1945~1995)の長編コミック「石の花」を読んでいるときだった。
「石の花」の舞台はナチス・ドイツの侵攻を受けているユーゴスラビア、主人公の少年クリロと少女フィーが懸命に生きていく。
主人公のクリロはチトー率いるパルチザンに合流し、苦悩を抱きながら戦い続けていく、というスケールの大きなストーリーだった。複雑なユーゴの歴史をコミックで描いた坂口尚さんの筆力には感嘆した。
20世紀には二つの世界大戦があり、その後多くの国々が独立して、数多くのカリスマ的指導者が現れた。
「インド独立の父」マハトマ・ガンジー、
議会からアタテュルク「父なるトルコ」の称号を贈られたトルコのムスタファ・ケマル、
パルチザンを率いたユーゴスラビアのヨシップ・ブロス・チトー、
時期は遅れるが南アフリカのアパルトヘイト体制を平和的に終結させたネルソン・マンデラ大統領(ノーベル平和賞)など。
私は中でもこのユーゴスラビアのヨショップ・ブロス・チトー(1892~1980)という指導者、のリーダーシップには驚嘆する。チトーという指導者を失った後、ユーゴスラビアという他民族国家は急速に解体に向かっていった。
チトーのような身体一つで一国を治めるようなリーダーシップが果たしてその国民にとって幸せかどうかは疑問の余地がある。
しかし、国家や組織のリーダーの力量が喫緊の話題となっている現在、リーダーシップについて歴史から学ぶことは大切だと思う。
「石の花」のあらすじです。
1941年、ユーゴスラビア王国のスロベニアでクリロとフィーは平和に暮らしていた。しかし枢軸国ナチスドイツの侵攻によって、クリロは家族と離ればなれとなり、フィーは捕らわれ強制収容所に送られる。フィーを救おうとしたが失敗したクリロは、その場で尊敬していた兄イヴァンがドイツ軍に寝返ったことを知る。
祖国を取り戻すべくパルチザンに参参加したクリロは、大人達のエゴに振り回され、理想や正義とは程遠い戦いに身を投じ、フィーは強制収容所で、生き抜くために人間のあらゆる尊厳を捨てながら、恩師フンベルバルディンクの言葉石の花を支えに生き延びていく
登場人物
クリロ・ベート
『石の花』の主人公の1人。スロベニア東北部の村の少年。フィーの幼馴染み。枢軸国の侵攻により、ナチスの捕虜となったフィーを助けようとするが失敗。その場に居た兄イヴァンがドイツのスパイだと知る。祖国の為、フィーを救う為、パルチザンに参加。激しい戦場で民族、宗教差別などの社会的矛盾と否応なしに対峙し、決して理想を捨てようとしない信念を持つに至る。 石の花の理念を教えた恩師フンベルバルディンクの言葉を支えに生き延びる。