リョウガのページ

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生保レディがいなくなるじゃないですか?

 

この間、長年にわたってお世話になった生命保険外交員のYさんが引退しました。

いわゆる 「生保レディ」 を40年近くも務めていた大ベテランです。私は30年前ぐらい前に新社会人になった時にYさんに勧誘されて終身保険と年金保険に加入しました。当時は保険外交員がオフィスに自由に出入りできた時代で、周一回、夕方仕事終わりに来社してはチラシやキャンディなどの販促物を配っていたことを昨日のように思い出します。

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生保レディの始まりは終戦直後までさかのぼる。

敗戦で国民の所得が低下し、高額となる年払いの保険料が大きな負担となったために、政府は官営の独占であった月払いの生命保険を民間の保険会社に開放しました。

保険会社は月払い保険の外交員に担当エリアを割り当て、家庭や職域で契約を募集する方法を採用しました。その外交員の主戦力として女性が大量動員されたのは、保険を取りやすいと考えたためではなくて、単に復興期で男性が求人難であったかたです。

その後、こくみんの所得が安定して、日本人の寿命が延びた事や、個人年金保険料控除制度の創設もあって、生命保険の販売は順調に推移した。生保レディの成績は保険金額の大きさで評価されるため高額な終身保険を専門とするようになった。

「ニッセイのおばちゃん」にテレビCMが放映されたのもこの頃だ。

しかし、平成時代のバブル崩壊で生命保険は軒並み経営難に陥った。生命保険会社は機関投資家として集金した保険料を株式や国債などで運用し、支払保険金の原資としてきた。

この運用が悪化したことで保険契約者に約束した予定利率を下回る「逆ザヤ」状態に陥り、生命保険会社の統廃合や倒産が相次いだ。

生保会社は「見直し」と称して保険契約者に予定利率の高い保険から予定利率の低い保険に変更させる「転換」を一斉に行なった。全国の生保レディたちは支店長から叱咤され、言葉巧みに転換を勧めてまわった。

ちなみに、バブル期の高金利時代の予定利率が高い保険を「お宝保険」といいます。

予定利率はピークで6%に達し貯蓄性が高かったが、現在の予定利率はわずか0.25%です。私は終身保険は解約しましたが、それでも年金保険だけはそのままお宝保険として残しておいてくれました。

近年は金融ビッグバンで銀行でも保険を扱えるようになって、外資の参入で保障内容がよい保険も増えて、ショップやインターネットでも契約できるようになった。同時に、足で回り、人との付き合いで契約を取ってくくる生保レディの存在意義は薄れて、今やブラック労働の代表格とさえ言われています。

Yさんの引退は、そんな生保レディ時代の終焉を象徴する出来事のように思えますね。