街角散歩から読書の秋へ突入
ふらりと街角にでて街角ウォッチングに勤しむことが多かったような気がする。
寺山修司の ”書を捨てよ、町に出よう” ではないかれど。
秋なのでしょうか。
しかし、ここのところの情勢下では、 アフターファイブのお誘いも
ぐっと減って、また週末は週末で天候に恵まれない日が続いていたんで、自ずと読書に触れてくなる時間が長くなりましたね。
「長い秋の夜の時間を使って読書をしよう。」と考えるようになったのは、なぜなのでしょうか。
それは、中国の韓愈(かんゆ)という文人が残した漢詩の一説にある「燈火稍く親しむ可く」という言葉が広まったからとされています。
「燈火稍く親しむ可く」は、「秋の夜は涼しさが気持ち良いので、灯りに照らして読書をするにはいいのもだ」という意味になります。
この漢詩は、もともと韓愈が息子に読書の大切さを教えるために読んだと言われていますが、
この漢詩は多くの人を納得させ、広まっていったことで現代でも言われ続けているようです。
・秋の夜の涼しい気候
・ゆとりのある時間
が集中して何かをするにはちょうど良く、この言葉が中国で広まったことで、今でも読書の秋といわれるようになったそうです。
ところで、
文化庁の「国語に関する世論調査」(平成30年度)によると、
1ヵ月の間に本を読まない人は実に47.3%と半数に迫るそうです。
一昔前は読書量が知識量に反映され、日常生活においても
有用な事が多くあったものですが、今やなにがどうでも、その場で
ピピッツとスマホを叩けばなんでも調べられる時代。
知恵は備えるのではなく、持ち歩くものに変化しています。
しばし読書から離れていた私が嘆くのはお門違いと知りつつも、
こうした風潮には一抹の寂しさを禁じ得ないです。
書を読む行為というのは、時にどんな勉学にも勝る成長効果があるんです。
数々の地方自治体(教育委員会)や実践研究者が中心となって行なっている読書週間定着の実態調査や実践報告などを要約すると
「特に幼少期の読書はその後の成長に欠かせない大切な営みであって、「言葉の力」 を育てる上でも大きな支えになり、また子供たちの
読書習慣を確立させることは、学力を保障する上でも大切な役割を
果たしていると考えられている」 との結果が導き出されています。
読書に触れている人とそうでない人の違いは素直に表に出やすい。
何気ない会話だけでも、語彙力一つで気付く人はすぐ気付く。
また、文章を書く場面でも、読書を好まない人は苦労することが圧倒的に多くなる。
また、そんな堅苦しい話ではなくても、そもそも自分にとっての良書と出会えるだけで、人生はより豊かになります。
そして、これらが全て 「教養」 として身についていくんでしょう。
全くの個人の嗜好で恐縮ですが、最近手に取った本が立て続けに当たっています。
「KGBの男 - 冷戦史上最大の二重スパイ」 (ベン・マッキンタイアー著、中央公論社)
「ネット興亡記 敗れざる者たち」 (杉本貴司著、日本経済新聞出版)など。
時代こそ違えど、いずれも革命期に躍動した人物の生き様を描いた作品で、今このタイミングで読むのもピッタリかと。
興味を持たれた方がいたら、是非一読をオススメします。
この秋はさながら ”スマホを捨てよ、本を読もう” としゃれこんで、
「読書の秋」 を満喫するもの悪くないのではないでしょうか?