リョウガのページ

小さな嬉しいことを発見する、今話題のことを思う

出会いの奇跡がある

幕末の大河ドラマ渋沢栄一の「晴天を衝け」を見ていると、

勝海舟のことを思い出した。

吉沢亮&STAFF on Twitter: "2021年大河『#青天を衝け』第2弾出演者が ...

勝海舟は若い頃、今後の外交には西洋兵学が必要と考えて蘭学の学習に努めました。が非常に貧乏で書物を買うお金がなかった。

そこで日本橋と江戸橋の間の小さな書物商で立ち読みを繰り返ししました。店主も勝の事情を察して、親切にしてくれました。

その書物商の常連に渋田利右衛門という函館の商人がいました。

彼は無類の読書好きで、商用で江戸へ来るたびにここに立ち寄り、書物をまとめ買いしていましたが、いつも立ち読みばかりしている勝の存在に気になっていました。店主から勝の事情を聞いた渋田は「それは感心なお方がだ。自分も書物をたいへん好きだから、一度お話をしたい」と言って、店主の仲介で二人は出会う。

少しばかり言葉を交わすと渋田は「同じ好みの道だから、今後のご交際を願いたい」と勝に申し出る。

そそて数日後、渋田は勝の家を訪れた。当時の勝の家は破れた畳三枚で、天井板は薪にして一枚も残っていなかったが渋田は特段気に掛けることはなかった。そしていよいよ帰りがけになると懐から二百両の金を出して「書物を買ってください」と言った。

勝はあまりのことに返答できずにいると、渋田は「いや、そんなにご遠慮なさるな。これであなたが書物を買ってお読みになり、そのあと私に送ってくれれば結構だ」と、強いて金を置いて帰った。

その後も二人の交流は続き、勝はますます蘭学に没頭するんです。そして遂に勝の知識は幕府の目に留まり、無役の身から立身出世の足ががりをつかむことになる。勝は出世してからも蘭学本を翻訳し、渋田に送り続けた。渋田は函館で「渋田文庫」を設け、図書館のように蔵書を開放し庶民教育に尽力しました。

勝の人間性に惚れたのか、見る目があったのか、貧しい下級武士を支援した渋田の心意気が幕末の歴史を塗り替える。渋田の支援がなかれば、勝は世に出なかったかもしれない。となると勝の弟子龍馬も維新の舞台に現れなかったかもしれないし、竜馬の奔走なくして薩長同盟成立はあり得ない。すなわち、渋田と勝との書物商での出会いが歴史を大きく動かした。渋田は享年40歳と若くして亡くなった。明治維新後、勝は渋田の恩に報いるべく、渋田書庫の蔵書のすべて数万冊を函館館奉行所で買い上げた。渋田は「図書館の租」として函館の歴史に名を遺した。

誰しも自身の人生に少なからず影響力を与えた人物が存在する。

春は出会いの季節。出会いの奇跡はどこに転がっているかわかりませんね。