リョウガのページ

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「クンクタトル」

クンクタトルって知ってます?

「クンクタトル」とはラテン語で ”のろま” ”怠け者”という意味です。

共和政ローマ独裁官クイントス・ファビウス・マクシムスに付けられたあだ名なんです。

ファビウスは第二次ポエニ戦争で、カルタゴの猛将ハンニバルの侵攻からローマを救った老練な指導者です。

クィントゥス・ファビウス・マクシムス - Wikipedia

 

ハンニバルは4万名の軍勢と30頭の象(戦うための象・戦象)を率いて危険なアルプス越えを強行し、ローマ領内になだれ込んできました。完全に意表を突かれたローマ軍は連戦連敗しました。

第二次ポエニ戦争 - Wikiwand

 

ファビウスは、ハンニバルが稀代の戦上手であって、真正面から決戦しても勝ち目がなく、態勢を立て直す時間稼ぎが必要と考えました。

またローマ領に深く侵攻したカルタゴ軍の弱点が補給だと見抜いていました。そこで一計を案じ、カルタゴ軍との決戦を避け、接触を維持しつつジリジリ後退し、自軍の損失を最小限にして敵軍のみに消耗を強いる持久戦略で対抗しました。

時間をかけてカルタゴ軍を疲労させ、自滅を誘う染料だ。カルタゴ軍の進路から食料を焼き払う焦土(しょうど)作戦も展開。

しかし、これはローマ市民からは大変な不評でした。

彼らはファビウスを弱腰、消極的と断じて「クンクタトル」と罵倒し、あろうことかカルタゴ軍に決戦を挑む暴挙に出たんです。

その結果、ローマ軍はハンニバルの巧みな用兵に翻弄されて、逆に包囲・せん滅させられるという歴史的大敗北を喫した(カンナエの戦い)。

ローマ軍の敗北はローマ市民をパニックにおとしいれ、絶望の淵に追い込まれた。ただ一人冷静であったファビウスは、ローマ市街に出て市民にローマの最終的な勝利を説き、励ましてまわった。

その甲斐あってファビウスの正しさはようやく見直され、ローマ軍は急速に戦力を回復し、反撃の大攻勢を開始した。

孤立無援で衰弱しきっていたハンニバルカルタゴ軍は無力化し、本国へと落ち延びたいった。

第二次ポニエ戦争でもローマの勝利はファビウスの戦略と卓越した指導力にあった。戦上手の ”戦術家” ハンニバルは沈着冷静な ”戦略家” ファビウスに勝てなかった。ファビウスに対する「クンクタトル」の軽蔑な呼び名は敬称へと意味を変え、「ローマの盾」として賞賛された。

この第二次ポニエ戦争の経緯はコロナ禍に苦しむ現代の日本とそっくりです。水際阻止に失敗し、対応が後手に回った政府は国内外から「クンクタトル」と厳しく批判されました。医療機関で少数精鋭部隊がすり潰されていくなか、多くの日本人はパニックを自制し、行政を当てにせず家族を守るためコロナに立ち向かうことを強く、静かに決意した。

マスク着用、3密回避など自主的な予防策に取り組みつつ、薄氷を踏むようにゆっくりと経済を回し続けました。一人ひとりが ”ファビウス”のように、平穏な生活を犠牲にしながら持久戦に耐え忍んでいる。

苦難はまだまだ続くでしょうが、勝利はいつか必ず訪れよう。