名選手、名監督のあらず」のカラクリ 「手続きの記憶」
前回の五輪では前々回の五輪で清栄氏が振るわなかった協議が見事に復活してメダルラッシュになったケースが多い。そのとばっちりを受けたのか、前々回の五輪の各競技で監督を務めていた人たちには、何やら冷たげな目線でが集まってしまった。「名選手、名監督にあらず」とよく言う。これは現役時代に素晴らしい選手だった人でも名監になれる確立は低いということ。元名選手ならば自身が持つ技能やノウハウをそのまま人に伝えて、それをベースに常勝チームを作るのはたやすいことのように思える。けれど、そうは問屋が卸さないのがスポーツの現実。なぜそうなるのか。
子供の頃一輪車の乗り方をマスターした人は多いだろう。ここで、自分が他人に一輪車の乗り方を教える場面を想像してほしい。教わる人がきちんと乗れるように、教えることが出来るだろうか。それを出来る人はかなり少ない。きちんとした教え方は次の通り。
「まずタイヤの空気は少し多めに入れる。
次に一輪車を体の前に持って、サドルがへその高さ位になるように合わせる。
載ったときにはペダルを上下の位置にし、下のペダルにかけた足が伸びた状態で、膝にやや余裕が出来るように。
手すりにつかまり一輪車に乗ってみる。
左右どちらかのペダルが真下よりも手前の位置にする。
サドルをまたいでからペダルに足をかける。
ペダルにかけた足を下に踏んで体全体を一輪車の上に乗せる。
両足がペダルに乗ったら、ペダルを水平位置にして一旦停止。
背筋を伸ばして前方を見る。
手すりを掴みながらペダルを半回転前進させる。
足の前後を入れ換えるようになる。
水平位置で再度姿勢を保ちながら整えたら、半回転の動作を繰り返す。
半回転に慣れてきたら、1回転、連続回転と進んでみる。
こんな風に乗り方を正確に思い出し、それを描写した人に伝えることができる人は少ない。
この細かいステップでは「手続きの記憶」という。これは何かの物事をするマニュアルが詰まった脳内のカゴみたいなもので、自覚可能な意識以外の場所で機能する。技術が向上するにつれ、カゴのなかので意識的に監視できないほど早く行動できるようになり、やがてやすやすと物事がこなせるようになる。したがって、上達すればするほど手続き記憶のマニュアルの詳細を人に分かりやすく説明するのが難しくなってくる。細かいステップや技術のことについて質問されても、もはや思い出せない。
だからつい「何故出来ない!簡単だろうが!」と叱る。
こんな指導者を持った選手は悲劇だ。これが名選手、名監督のあらず」のカラクリです。