リョウガのページ

小さな嬉しいことを発見する、今話題のことを思う

広告宣伝飛行

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今からちょうど百年前の1920(大正9)年、東京神田の伊勢屋丹治呉服店(現・伊勢丹)は、民間の飛行家に依頼して日本初の空中広告を出して話題になりました。

おそらく飛行機の翼に店名を描いて低空飛行したのか、あるいは店名を描いた吹き流しを飛行したのだろうか。また、同年5月にはキリンビールの総代理店であった明治屋が飛行機からビラをまくという宣伝活動を行なった。

当時はアドバルーン、夜間ネオンなど新しい広告メディアが次々と登場した時代でした。また実用化したばかりの飛行機も注目の的でした。

 

民間航空産業は戦後大いに発展して、1965年(昭和40年)の運輸白書によると、当時の産業航空(航空輸送事業を除く民間航空機の活動)で活躍している航空機は280機あって、顧客から料金をとって飛行する有償稼働時間は8万124時間。

そのなかで広告宣伝が占める割合は13.6%となり、これは薬剤(農薬)散布の27.4%、写真撮影の16.4%につぐ3番目でした。

戦後すぐの時代は新聞を契約する世帯が少なく、空中からビラを散布した方が効果的だったんですね。ただ時代が進んで自動車が普及すると、空中からまくビラが交通事故を誘発するケースが頻発したんです。子供たちが飛行機やビラを追いかけて道路に飛び出したり、落ちているビラを拾おうとして車にひかれる事故が相次いだ。そのため東京オリンピック開催の年である1964(昭和39)年に東京都の条例で飛行機からビラの散布が禁止されて、これにともなって全国的に禁止になったんです。私も幼い頃に飛行機がビラをまく光景を見た記憶はほんのわずか覚えている。

現代の価値観からすると、空中からのビラの散布は環境破壊以外の何物でもない。風の強さや向きによって必ず狙った場所に散布できるとは限らず、拾われなかったビラはゴミになるしかない。今だったら間違いなく大きな社会問題として痛打されただろう。

今では、ビラ散布に代わって宣伝放送飛行が細々と行なわれている。飛行機に搭載した大音量スピーカーで上空からメッセージを伝えるものです。約400mの高度から直径500~1000mの範囲を旋回して広範囲を一気にカバーして、人々に直接音声として広報することができるため、選挙啓発や交通安全啓発といった官公庁などの広報活動にも頻繁に利用されています。料金は一時間の飛行で10万円程度です。

 

何かと騒がしい都会では途切れ途切れでよく聞き取れなませんが、むしろローカルで効果が期待できるかもしれません。

豊かな自然に囲まれたのどかな農村や漁港の空からわずかに聞こえるアナウンスの声。

こんな光景を思い浮かべて懐かしく想う人はすくなくないでしょうね。

静かな晴れた空に、響く声はなんとなく平和な感じがしていいですね。