今注目のSNS「クラブハウス」について
フェイスブック、インスタグラム、ツイッター、ラインにその他多数・・・
のSNS群にまたひとつ、新しいサービスが本格的に拡大しようとしています。
2020年4月にアメリカで生まれた 「Clubhouse (クラブハウス)」は音声版ツイッターと言われて、コミュニケーションがテキストではなくて音声であることが特徴。
参加しているコミュニティーメンバーの会話を聞いたり、意見を述べて議論に参加したりも出来るんです。日本では今年1月にローチン(開始)されたばかりなんですが、有名人などがあちらこちらでアピールしたこともあって、降って湧いたように様々なメディアで採り上げられ、話題となりました。
しかし、「じゅあ、試してみようかな」と思っとところでそう簡単にはいかないんです。まずiOSでないとアプリがダウンロードできない。さらに、アカウントは招待制なんですね。
つまり既存ユーザーの招待がないと参加できないんです。ただし、一人が持つ招待枠は2つのみで、誰彼みんなを招待できません。
他にも18歳以上であること、実名でしか登録できない事(著名人・芸能人は芸名OK)、会話は録音に加え、書き起こしやメモも不可など様々な制約があります。
クラブハウスはラジオを聴く感覚で楽しむことが出来る一方、多大な危険性も抱えています。聞く側のリテラシー次第の面もありますが、発言の内容によっては誤解を招き、思わぬ問題に発展することも出てくるでしょう。ましてや、万が一にも機密事項的なことを漏らしてしまったら大事です。
また、クラブハウスでは、いやがらせ、差別、脅迫行為、ポルノなど公序良俗に反する行為(発言)を禁止していますが、すでに規約違反のユーザーがあちこちで出てきていて、海外では人種差別やヘイトスピーチの拡散に利用されるなど、大きな問題となっていますね。
所詮、人の口に戸は立てられないんですね。限られたコミュニティであるとの安心感は、逆に不用意な一言を漏らしやすい環境にもなります。
さてと、ここまで書いたことは誰でも容易に想像がつくもんですが、それでも新規ユーザーは後を絶たないのだから、間違いなく需要はあるということです。
以前、とある芸能人が「次のビジネスチャンスは音声」と何かのバラエティー番組で話していた通りの事が起ころうとしています。知らないからと言っているばかりではなくて、新しいサービスにはまず触れてみることも今を生きる上で欠かせないスキルですね。
そこから新しい繋がりが出来る可能性も充分にあるでしょう。
ただ一つ、招待枠が欲しいがためにSNSを利用して見ず知らずの人から招待をもらうのは、(招待を受けるために開示した)電話番号を悪用される恐れもあるのでくれぐれもご注意をしてください。
見事な説明力に感服した。
12年ぶりにテレビを買い替えようと思って、家電量販店に行きました。
干支が一巡する間、テレビ売り場で真剣に商品を見たこともなかったので、その変化に驚きました。
12年前、初めて大型テレビを買うに際しl、プラズマと液晶で悩んだ記憶があるんですが、今はすでにプラズマは市場から姿を消していました。端的にはかつてベータビデオとVHSのように、あるいはHDDVDとブルーレイのように、覇権争いの末、各メーカーが生産を中止しました。
そして新たなテレビ 「有機EL」 が市場に登場しました。映像は色の点の集まで表現されて、その一つ一つの点をピクセルといいます。
詠唱テレビはバックライトでこのピクセルを光らせて色を出すんですが、有機ELは発光ダイオードのように自発光するのでバックライトが必要ないんですね。
販売員は「その分、テレビは薄く軽くエコになりました」というんです。
なるほどとうなずきながらプラズマに目をやると同じ55インチのテレビで有機ELは液晶よりも5万円高い。そして素人の目にはその5万円の違いがわからない、気に入らない。結局、液晶に決めたんですが、液晶テレビにも価格差があって、迷っていたところ「現品展示品特価」に目が行きました。
スマホで調べると、現時点で東芝の液晶テレビの最新最上位機種であることがわかって、さらに料金比較サイトの最安値よりも1万5千円も安いんです。これは掘り出しもではないかと、これに決めました、と言いかけたそのとき、販売員から思わぬ説明を受けました。
「現品展示品の意味を説明しますと、このテレビは1年前の発売日から展示を続けてきました。毎日9時30分の開店から22時の閉店まで休むことなく電源がついたままです。通常のご家庭では朝と夕方の使用で1日のテレビ使用時間は4~5時間程度かと思われます。よって1年
の展示期間中に通常のご家庭の2年半~3年分は使用したことになります。
液晶テレビの電源基盤は消耗品で劣化していきます。
現品展示品が2万円ほど安いのは、その使用分が安くなったとご理解いただければと思います。また現品展示品を処分する理由は新モデルの入荷が迫っているかなに他なりません。
今ご使用中のテレビに不具合がないのでしたら新モデルが発売されてからのご検討されてもいいかもしれません。もちろん、そのときに旧モデルの在庫が残っていればお安くなる可能性はたかいですよ」。
心の中で拍手したほど素晴らしく、納得のいく説明でした。
新モデルの発売を待まつことにしました。その際は、彼から買おうと思った。いくらネット通販全盛でも、リアル店舗の優れた販売員には敵わないですね。おもしろい一日でした。
花芽(かが)をもたらす有効物質「雪耐梅花麗」
この時期になると、紅色や白の梅の花があちらこちらで可憐な姿を見せ始めます。
少しづつではありますが朝晩の寒さも和らいで、日の出ははやくなり、日の入りは遅くなってきました。大阪城公園にある梅花庭園も有名とあって、梅の花が開くのを見ると、春がもうそこまで来ている事を感じて、何とも嬉しい気持ちになってきます。
毎年不思議に思うことがあります。
なぜ植物は毎年ほぼ同じ時期に花を咲かせることができるのでしょうか?と。・・・
今年の冬は例年に比べて寒かった。 今季最強 の名がつく寒波が到来しては去り、また到来しては・・・の繰り返しで、各地で被害も多くでました。
寒さの影響によって電力消費量がひっ迫しているとのニュースもよく聞きました。そんな寒さもなんのその、梅の枝先が赤味を帯びて、花が一輪、二輪と躍動を始めたのは1月の終わりから2月のはじめにかけた寒さ真っ只中の頃です。
植物が花を咲かせるメカニズムには、「気温の変化」 と 「日照時間の長さ」 が大きく関係しているといいます。気温の変化は読んで字の如くの意味で、寒暖の進行で季節感を認識するというもの。
興味深かったのは日照時間の長さ。
日照時間と書きましたが、重要なのは昼ではなくて夜の時間。
昼の日照時間は天候や地形・近隣の構造物等に影響されて安定感を欠くため、植物は光の当たらない時間の長さを感じることで花の基である花芽(かが)をもたらす有効物質を形成します。
この光(暗闇)の変化を感知・認識することで周期的な反応をすることで「光周性」と呼ぶのでそうで、これによって毎年ほぼ同時期に花を咲かせることができるんです。自然の摂理とはかくも偉大で壮大なものかと・・・、感じてしまいます。
「雪耐梅花麗」(雪に耐えて梅花うるわし)という言葉があります。
厳しい雪の寒さに耐えてこそ、梅の花は美しく開き、かぐわしい香りを発する。転じて、多くの困難・試練や逆境を乗り越えて大きく成長しましょう、という意味と理解しています。
元広島東洋カープの名球会投手である黒田博樹の座右の銘として各所で紹介されました。
西郷どんも黒田投手も若い頃に散々苦労を強いられ、それを克服して、努力を重ねて歴史に名を残しました。
今年は気候だけでなく、何かと厳しい冬になった。口で言うほど簡単なことではないですが、私たちも梅の花にあやかって、きたる開化の時を待つべく、もう少し耐えていきましょう。もう少しです。
我つながる、ゆえに我あり
我つながる、ゆえに我あり
「きょ年の服では、恋もできない」。
ちなみにこのコピーはTCC(東京コピーライターズクラブ)を受賞しました。去年の服はもう古い。今年の色、デザイン、メークにこそ新しい価値がある。異性、あるいは誰かに認められたいから、今年の服を追いかける。
こうした女性たちの流行に遅れたくない、トレンドから外れたくないといった心理が、ファッション消費の根底にあった。それは他者と同じでありたいという同一化願望でもある。
その一方で、人には他人と違っていたいという差異化願望も潜んでいる。
「同じでありたい」と「違っていたい」。
相反する気持ちが共存している。人とはやっかいな生き物である。
だけど、人間にこの二つの欲望があったからこそ、ファッション産業が存続してきたともいえる。流行は常に流動性えお伴い、ときめきという新たな需要を生み続けてきた。それは、「変化の発生と消滅」という周期の連続であって、この繰り返しがファッション産業のシーズンごとのビジネスを支えてきたという側面もあるのでしょう。
多くのモード誌などが、記事と広告で「変化のための変化」を採り上げては発信してきた。「この夏は〇〇がくる」という毎年変わらぬ見出し。
誰がそれを決めたのかわからなくても、同じメークをした仲間たちと「そうなんだ」と相づちを打つ安心感。同時にわずかな差異をその先に求める。ファッションを楽しむとはそういことだったのかもしれない。
ファッションは若者の関心事のい上位から転落したきた。お小遣いは服よりもソーシャルネットなどの通信費に優先的に費やされる。デカルトの「我思う、ゆえに我あり」というフレーズも生まれた。今や、人とつながるための手段としてスマホは欠かせない。だが、米国の臨床心理学者シェリー・タークル氏はソーシャルネットでつながるのは「ひとりが悪い事のように思える禁断症状」と指摘する。「ずっとつながっていれば寂しくならないと思われがちだが、それは全く逆。ひとりが苦手だともっと孤独になる」。スマホでつながりを求めるほどの孤独感。
デジタル・ネイティブ世代ほどスマホは生活の一部となっている。この世代は家族、友人、社会と接触する機会が少なくなっているという調査もあって、うつ病や自殺、社会的孤立の要因につながっているという警告もあります。
友だちと会って、気軽にファッション談議することさえはばかれる時代。
あれだけ ”絆” が言いはやされた3・11から、10年になろうとしているのに。
木の芽時に・・・
「木の芽時」。
「このめどき」、と読めば、木々が一斉に新芽を吹く早春に今頃を表します。
「木の芽雨」 は木々が芽吹く頃の雨のこと。
一方、「きのめどき」 読むと、早春だけでなく、春先の憂鬱や体調不良の意味もあるといいます。
どちらの読み方も正解ですが、「老体の調子を崩す木の芽時」という句は、「きのめ」とよむべきだろうか。年を重ねていくと、季節の変わり目は身体がついていきにくく、体調を崩しやすくなります。
「木の芽」は山椒の若芽も指す。
「木の芽漬け」といえば、山椒の若芽を塩漬けにしたもの。
「木の芽あえ」は、味噌に山椒の若芽を刻み込み、砂糖を加えてあえた料理。「木の芽あえ女たのしむ事多き」。こちらは季節の風味を楽しんでいる女性たちの句です。
「芽吹く」という言葉は、固い冬芽が成長をし始めることから、「成長の兆しを見せる」「新しい物事がつくりだされる」といった様子も連想させる。厳しい寒気や氷雪の冬を越すために休眠していた芽が動き出す。
「新型コロナ禍で落ち込んだ業績を補完する新事業が、ようやく芽吹きだした」と、この言葉を使ってみたいものですが、なかなかどうして。
現実はそう甘くない。実際には「旧弊が伸びる芽を摘む」という方が多いかもしれない。それでもこの季節、一斉に空を見上げる木々の若芽たちは、けなげな姿の奥に強い生命力を見出すこともできる。そういえば、今年も受験生たちは雪解けの中で芽吹いていたのだろう。
関西では「お水取りが終わらないと、暖かくならない」といわれています。
これは奈良・東大寺二月堂で行なわれる修二会(しゅにえ)という法会の行事の一つ。3月1日から14日まで開かれ、十一面観音菩薩に過去の過ちを告白して許しを請うという儀式です。
13日の午前1時半に若狭井という井戸から観音様に供える水をくむことから、お水取りと呼ばれたんです。
二月堂の舞台で火のついたたいまつを派手に振り回すシーンも有名です。このたいまつの火の粉を浴びると健康になるといわれています。
一度、お松明を見に行った事がありますが、ただ寒かったことだけが記憶に残っています。お水取りが終わらないと、やはり春は来ないのかな。
今年は例年に比べて暖かい。桜前線も早い予想です。
いおしいものを食べ、珍しいものを見に行きたい。しかし、そうした春の楽しみも当分お預けでしょうか。
「天明の打ちこわし」に思う、丁寧礼儀正しく狼藉つかまつりそうろう・・・
江戸時代中期の1787年(天明7年9.・・・・
全国的な大飢饉が続く中、一部の米問屋が米相場の上昇を見込んで米を買い占めたために、窮乏(きゅうぼう)にあえぐ江戸の町民たちはたまりかねて米問屋に乗り込み、抗議のため店の家財や建物を叩き壊した。
世に言う「天明の打ちこわし」です。
この打ちこわしは、農民百姓一揆と違って、都市に住む町民が初めて起こした政治的なデモンストレーションでした。
江戸市中では約980軒の米問屋が襲われましたが、驚くべき事に火事も一人の死者も出なかったそうです。米蔵にあった米を路上にぶちまけたり、川に投げ入れたりはしましたが、打ちこわしに乗じた略奪は行なわれず、店の者に危害を加えることもなかった。
ターゲットになった商家の隣り近所には迷惑をかけず、前もって火の用心を済ませていました。買い占めや売り惜しみをしなかった善良な商家は襲撃せず、ドサクサ紛れに悪事を働かず、そのような行為を見かけたらみんなでこれを止め、女子供を危険な暴動に参加させなかったんです。
しかも、米問屋でぶちまけた米の代金を”適正価格”で支払ったり、高利貸しには利息を払ったうえで領収書を貰っていくなど、律儀な話も伝わっています。
打ちこわし勢は約5000人。町内や隣近所の者同士で組織化され、規律正しく行動していた。打ちこわしの目的は体制批判や幕府はの反逆ではなく、あくまでも「悪徳商人たちに社会的制裁を加え、自分たちの正義を政治に伝える事」でした。
そのため暴力や略奪、放火などの行為を互いに厳しく戒めていたのだ。当時の人々の民度の高さがうかがわれる。
鎮圧に出動した長谷川平率いる先手組の役人はこの様子に驚き、「誠に丁寧礼儀正しくろうぜきつかまつりそうろう」と記録している。(森山隆盛日記)。
さすがに幕府もこの騒動を「町民と米問屋の私的な喧嘩」として処理せざるを得ず、「御府内と申、公儀を恐れざる仕方不届け(将軍のお膝元を騒がせたのはけしからん」として、盗みや関係ない商家に押し入った者など数十人を百叩きや江戸所払いといった軽い刑に処しただけで終わった。
つまり幕府に政治弾圧の口実を与えなかったわけです。それどころか、この事件をきっかけとして、当時権勢を誇っていた幕府老中・田沼意次が責任を問われ、失脚に追い込まれることになったんです。
一方、その同じ頃、ヨーロッパではフランス革命で国王と王妃がギロチンの刑に処され、200万人もの死者を出していました。
そして今日では、デモクラシーの本家本元であるアメリカで大統領選挙の結果はの不満が爆発して、混乱が続いている。
こんなご時世だからこそ世界は、死者も略奪も放火も無かった奇跡の「天明の打ちこわし」を政治運動のロールモデル(模範)にすべきなのかもしれません。・・・
昔、かつて飲食営業緊急措置令がありました。
かつて飲食営業緊急措置令があった。
昭和22年(1947年)7月、政府は「飲食営業緊急措置令」という政令を出しました。
飲食店の営業を全面的に禁止したもので、違反した業者は3年以下の罰金を科すという厳しいものでした。
店主だけでなく、客も1年以下の懲役か、1万円以下の罰金。
当時の貨幣価値からするととんでもない額ですね。戦後の食糧事情のひっ迫を受けて、外食券食堂、旅館などの許可された店以外での商売を禁じ、24年に廃止されるまで2年続いた。
統制経済下とはいえ飲食店にとっては死活問題です。そこで抜け道を考えた。「裏口営業」です。休業を装い、非合法の営業を続ける店もありました。表通りからは閉店しているかのように見せかけ、実際には別の出入り口から入ると、こっそり営業していた。特別な顧客向けである。
「裏口入学」という俗語が生まれる前に、裏口はすでに存在していました。
この時代、「タケノコ生活」という言葉が良く聞かれました。食糧不足で、農家に着物を持ち込んで、米などの物々交換した。振袖や、帯、羽織が食べ物に換わる ”タケノコの皮を一枚一枚剥いでいく” そんな生活を指した表現でした。そんな時代だから、裏口営業の特別客とは闇市や払い下げなどで大もうけした成金たちだったのではないでしょうか。
現在、飲食店には「緊急事態宣言」再発令で営業時間の短縮が要請されています。対象地域で要請に協力した飲食店には、自治体が協力金を支払い、そうした飲食店と取引のある中堅・中小事業者にも、一時支援金が支給される。
一方で、13日から施行された新型コロナ対応の改正関連法では、「蔓延防止等重点措置」が新設された。都道府県知事は事業者に営業時間の変更を要請でき、命令に違反した事業者には20万円以下の過料を科すことができます。
正当な理由無くマスクを着用しない客の入場禁止も明記されました。
規制は厳格化され、私権も制限されていますが、罰則は懲役刑はなく、行政罰にとどまっていることだけを見れば、国の対策措置の乱暴ぶりは弱まったといえなくもない。
だからといって、今も昔も店舗ごとに抱える事情や考え方が様々であることは変わりありません。営業時間短縮要請に協力を続けてきた店舗が大半とはいえ、罰則を科されても営業を続けるという店舗や、事業継続が困難と断腸の思いでのれんを下ろした数々の老舗もあります。
中には屋台から始めて成功したものの、今回廃業に至った名店もありました。
戦後の飲食営業緊急措置令が廃止されてから72年。
再びこうした事態になるとは思いもよらなかったですが、一日も早く、飲食店が賑わう日を心待ちにしたいですね。もしかしたら屋台ではないけれど、キッチンカーから事業を再開する人だって現れるかもしれない。
そうした店が何十年か先に名店になっているかもしれない。
人の営みとはそんなもんかもしれません。