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ようやく首都のキエフからロシア軍の撤退がはじまったようですね。
ウクライナの人たちは懸命に戦った結果でしょう。
戦争に、こういう言葉があります。
戦争のプロは兵站(へいたん)を語り、戦争の素人は戦略を語る、と。
兵站(ロジスティクス)とは、軍事行動を支援するため、生産・調達・輸送・補給を
計画して実行することを指して、近代戦において重要な要素です。
兵站がなければ、外征戦争の継続が極めて難しくなる。たとえ完璧で壮大な大戦略を
策定しようとも、弾薬、食料、燃料、医薬品を部隊に供給し、兵士を補充しななければ
軍隊は機能しないからです。
企業に例えるならば、営業部で売上げを稼ぐために必要な商材の仕入れ、工場なら材料
の調達や電力の供給、在庫や材料を備蓄する物流倉庫、配送業務といったところでしょう。
一説では、陸軍の師団(約1万人)の作戦に必要な物資輸送量は1日に2000~3000トンとされています。
これら補給物資を集積する兵站拠点は、最前線の戦闘部隊の前進に合わせて25Km間隔で設置していくんです。
中規模の兵站拠点は100Km間隔で設置して兵站ネットワークを構築します。
必要な補給物資を後方に蓄えながら前方進出していくイメージですね。
ただし、前線部隊の進撃速度が速くても、兵站が追いつかなければ立ち往生するしかない。
敵中奥深く侵攻し、策源地(補給源)から最前線までの距離が伸びていくと、それに従って補給部隊への負担が著しく増大して、最前線まで必要な軍事品が行き渡らなくなってしまう。
長期戦になれば戦費の膨張が国家財政を圧迫するため、戦争は短期決戦で終わらせなければならないのだ。
今回のロシアによるウクライナ侵攻の場合、ロシア軍の兵站が脆弱なのは開戦前から知られていました。
米軍は、ロシア軍の補給能力の限界から攻勢は3日が限界だ、と予測していました。
旧ソ連圏内の物流は鉄道に依存していて、道路インフラが貧弱なんですね。またロシア軍の補給段列ではトラックが不足している。
ペンタゴンによると、どのトラックも過積載で、安価な中国製のタイヤが過負荷に耐え切れず、すぐにダメになるらしい。
車両の整備が不十分でオイル交換もままならない。過酷な戦場で軍用トラックが1マイル走ると、平時の10~20マイル分も損耗するにもかかわらずです。
それとロシア軍全体として兵を統率する下士官が足りず、ドライバーは士気も熟練度も
低い徴兵が多く、過労による事故も多発している。これらの要因が累積して、兵站機能が著しく低下しているのだ。
補給物資の横流しも横行しているらしい。
その結果、ロシア軍の先鋒部隊は開戦前の初期備蓄を初動の数日で費やし、補給切れ
に陥ったようです。短期決戦に失敗して消耗戦を余儀なくされたロシア軍は極めて
高い代償を払うことになりそうですね。
イワンのばか
イワンのばか
古代・中世のロシアは居住地区を木柵などの防護壁で取り囲み、軍事指導者は
「公」(クニージャ)と呼ばれていました。
町の行政は公とともに市民も入った「民会」とい組織で運営して、公も民会の
意向を無視すれば追放されました。民主的運営である。
ロシアは皇帝による専制政治、共産党書記長による独裁など、権威主義的なイメージが強い。
日本にとってもシベリア抑留、北方領土問題など悪感情が一部に残っていますが、
それは必ずしもこの民族の本質ではないんでしょう。
国家と呼べるようなロシア史の始まりは、9世紀にないってからなんです。
北方から侵入してきたルーシ族(ノルマン系民族)が建国した「キエフ」に始まります。
ロシア最古の年代記 「過ぎし年月の物語」 によると、東スラブ諸民族は互いに
競い合う無秩序な世界でした。862年に「海の向こうのヴァリャーギのルーシ」に
使者を送り、統治を頼んだともいわれています。このため、スカンジナビア半島方面
からリューリック以下3兄弟がやってきて862年ごろ、882年にリューリック一族の
子孫がドニエプリ川中流に「キエフ大公国」を建国したという伝説があったんです。
キエフ大公国は領土を拡大しつつキリスト教を導入、1037年には聖ソフィア大聖堂
を建立するなど発展しましたが、1243年にモンゴル族に征服されました。
15世紀に入ってモスクワ大公国のイヴァン3世がモンゴル勢から独立、ピュートル大帝
(1682~1725年)が近代化を進めて、ロシア帝国を名乗るんです。
やがて、農業改革の失敗・食糧価格の高騰・暴動まどを契機に、1917年の3月革命で
ニコライ2世の帝政ロシアは幕を閉じます。
ウクライナもさまざまな国の支配下に置かれてきましたが、1991年のソビエト連邦
崩壊で独立。当時、ロシアはNATO(北大西洋条約機構)に入らないことを独立の条件にしていました。
ウクライナは2014年のマイダン革命で、大統領ヤヌコビッチを追放して親欧米政権となりましたが、ロシアは武力をもってクリミア半島を編入しました。
さらにウクライナ東部の親ロシア勢力を支持して、今回の戦争を迎えることになっています。
ただ、この国には一つの習慣があります。- 手にタコのできているひとは、食卓に
つく資格があるが、手にタコのないものは、人の残りものを食わなければなららい。
トルストイの 「イワンのばか」 の最後の部分です。平等に働き、平等に分け合う
社会主義の理想の姿を、平和と労働を尊び清貧に暮らすイワンに投影させた創作民話。
狡知(こうち)な兄たちは軍人と資本主義の見本として書かれていて、イワンは
ロシア人の底抜けの善良さと大きさを映してきました。
かつてのようにおおらかなロシアを願いたい。
鎌倉殿の13人をみて思ったこと。
歴史ドラマなのに、三谷幸喜の脚本もあってなんだかトリッキーな演出。
もっとシリアスな感じでもよかったのに。
そこでちょっとシリアスなお話を・・・
源頼朝は平惟盛(これもり)率いる平家軍を破り、富士川から撤退させた翌年(1181)
鶴岡八幡宮で棟上げ式を行ないました。
当時、宮大工は関東には少なくて、浅草から呼んで造営しました。頼朝はこの宮大工に
褒美に馬を与えようとして、「馬を引け」と義経に命じました。「吾妻鏡」はその時、
義経がなぜ、家人に命じず弟の自分に言うのかと鼻白んだと記しています。だけど、これこそが義経の思い上がりでした。
彼は頼朝の連枝(れんし)として坂東の御家人よりは一格も二格も高いと思っていました。
その思想は頼朝にとって足元を崩すほど危険だったんですね。
頼朝は坂東武士団の推戴(すいたい)を得て、ただ一人世に立つ存在でしたが、戦いの
主役はあくまで坂東武士。義経を王族のように扱えば、坂東武士たちの信用を失うのが
現実でした。義経には頼朝の本意が生涯理解できなかったとおもわれています。
長い流人生活の頼朝と、源氏の御曹司として奥州藤原氏の下で育った義経の違いがそこにあるんですね。
「一所懸命」という言葉があります。これは鎌倉時代の武士が命懸けで自分の土地を守っていたことを示します。
そこから命懸けで取り組むという意味にも広がりました。近世に入って 一所(領地)が一生と混同され、今では一生懸命が普通になっています。
義経は兄の頼朝のためにひたむきに源平合戦に臨んだのでしょうが、この源平合戦の
本質は坂東武士が西の権力者たちから、自分の土地を守ることにありました。
石橋山合戦(1180)で大敗した頼朝が房総半島へと舟で逃れて、その地の上総介平広常
や千葉常胤(つねたね)などの参戦を得ることで、わずか40数日後に鎌倉入りできたのは、京の平家に対する坂東武者の不満が大きかったから。
公地公民として国家が保有する耕作権を人民に貸し与えた班田収受制。
新たな土地開墾の意欲を高めようと制定した三世一身法。
743年には墾田永年私財法で土地所有を法的に認めました。だが、公地公民(律冷制)が崩壊しても、土地開墾ができるのは資材のある貴族や僧に限られていて、荘園制へと
変化しただけでした。その荘園を警備したのが武士の始まり。
荘園を管理しても所有者は貴族で、いつその土地から追われるかわからない不安定な
身分が武士なんです。そうした貴族たちに出入りしてうまく取り次ぐ役を果たしていたのが、武士の棟梁でした。
棟梁は主君ではなかった。鎌倉幕府誕生は領地の安定という 一所懸命 の結果なんです。
今時の都心新築マンションの高騰は、庶民の一所懸命では解決できない水準かも。
ロシアの拡大自殺の心理
イスラム教で禁じられているものに、お酒、豚肉があります。
そして自殺もコーランで禁じられていて、イスラム教徒に自殺者は少ないといわれています。
命の長さを決めるのは神であって、自殺は罪というのが伝統的な教えなんです。
しかし、1983年の米海兵隊宿舎を襲ったベイルート自爆テロ事件以来、
過激なイスラム武装組織の自爆攻撃が続いてきました。おそらく、殉教は自殺ではない
というのが過激派の理論なんでしょうが、無差別テロを正当化できるものではありません。
精神科医の片田朱美さんの 「拡大自殺」という書物によると、米国の犯罪学者は
大量殺人を引き起こす要因を6つ挙げています。
長期にわたる欲求不満、他責傾向、破滅的な喪失、外部のきっかけ、社会的・心理的な孤立、大量破壊のための武器入手です。
理想と現実にギャップがあります。
その原因を他人に求める責任転嫁や被害者意識は、誰にも多少はある癖です。
破滅的喪失には、経済的困窮や絶望などがあります。悲観、厭世的(えんせいてき)となって自殺願望を抱く人もいます。
外部のきっかけとは、大量殺人の模倣のこと、このあいだあった、小田急や京王線で
連続した電車内凶行事件も模倣型。
孤立を深めて暴走するケースもさまざまな事件に共通します。
日本の場合、銃の入手が難しいため米国ほどの事件は起きていませんが、
もし銃が身近にあればわからない。
片田氏は、多くの無差別大量殺人は、赤の他人を道連れにした、 拡大自殺 である。
人生に絶望していることを認めたくなく、独りよがりの正義を振りかざして凶行に及ぶ、と分析する。
家族を巻き添えにした拡大自殺もある。親子心中、介護心中、引きこもりを苦にした
無理心中事件も後を絶たない。親側の問題で、子供が犠牲になるケースも多い。
一緒に死んだほうがこの子のため。は、一方的な親の考えの押し付けです。
我が子は私物ではない。統計上、介護殺人は独身の人に多くて、ほとんど一人で親の介護を抱え込んでいました。
介護離職して経済的にも困窮して、親の認知症が進んだ例も。
事件の加害者には女性より男性が多いという傾向もあります。仕事中心で生きてきた男性ほど、
悩みを周囲に打ち明けられず、介護の負担を一人で抱え込み、孤立しやすいからです。
被害者意識が強くなるほど、加害者を罰したいという欲求や、自分の正しさへの確信も強まる、のが人間のようなんですね。
だけど、加害者とは本人がそう思い込んでいるだけで、実際は的外れであることが多い。
長い欲求不満や憎悪、被害者意識、経済的破滅と孤立、大量破壊兵器による脅し。
どこかの国の破滅願望もまた、拡大自殺でなければいいのですが・・・・。
コロナワクチン、3回目をうちました。感想 プロスペクト理論の発想が浮かんだ
先週、新型コロナワクチンの3回目の接種しに行きました。
三回目は、さすがに副反応が激しくて、とても辛かった。
これでも受けてもよかったのか?
昨年からワクチンを接種すべきか否かで、多くの人が悩んでいる。
ワクチン接種には発症予防効果というメリットがある一方、
強い副反応のデメリットもあります。テレビやネットの情報に振り回された人も
たくさんいたんでしょうね。
ところで、人間は仕事の失敗や人間関係の悪化につながるようなリスクは極力避けるため、
なるべく堅実な方法をとろうと考える傾向にあります。
ある調査によると、
例えば100万円を手元として、1年後に2倍の200万円に増える確立が50、
半分の50万円に減る確立が50%の金融商品に投資する場合、
考えられる選択肢は
①100万円全てを投資する
②半分のの50万円だけ投資する
③1円も投資しない
の3通りとんなりますが、世界中の多くの国で①が選択されたのに対して
日本では③の1円も投資しない、を選択した人が6割を超えたらしい。
日本人のリスク回避性向は安全志向が強くて、臆病体質が染み付いてしまっている。
ただ今回のワクチンのように、接種しても体質によって発症する人、発症しない人がいて、
ワクチンの副反応がどう出るかも分からない状況では、ワクチンの副反応を極度に恐れて
接種をためらい、新型コロナのリスクを軽視してしまうケースも見受けられます。
つまり、ある特定のリスクに反応するあまりに、別のリスクを過小評価してしまう傾向が
あったように思えます。
このような不確実な状況にあって、人はしばしば判断を誤りがちで。
認知バイアス(偏見や思い込み)によって、冷静で合理的な判断ができなくなってしまうことを、
これによると、リスクを伴う状況下で、人は客観的事実よりも主観的な感覚を優先してしまい、
小さな確率ほど大きく見積もったり、大きな確率ほど小さく見積ってしまうそうです。
投資やギャンブルで利益が出ているとき、先行きが分からず大損したらどうしようと考えて
慎重になる人もいます。
その一方で、損をしているときに、何とか損を取り戻したいと焦るあまりに、リスクを
過小評価して投資にのめりこむ人もいます。
若くて健康や体力に自信がある人で、最悪の事態の想定が低い人
(例えば、コロナはカゼと同じだ、という人)の場合、ワクチン非接種を選択するかもしれませんが、
自分はかかったら間違いなく死ぬと思えば、副反応のリスクを冒してワクチン接種を選択するでしょう。
「Men willingly believe what they wish.」の通り、
人間は自分に都合がいい現実しか見なくなってしまうものなのかも知れませんね。
でもブースター接種はかなり苦痛ですよ。覚悟して
ひまわりの種の象徴 ウクライナ
「ひまわり」という映画を知っていますか。
1970年に公開されたイタリア映画。
戦争で引き裂かれた夫婦の物語で、第2次世界大戦中、ロシア戦線で行方不明になった
イタリア兵の夫を探して、妻が終戦後のソ連・ウクライナを漂泊するという内容です。
主演は、マルチェロ・マストロヤンニとソフィア・ローレン。
東西冷戦時代にソ連が積極的に映画撮影に協力したことでも知られています。
ヘンリー・マンシーニの悲しいメロディともあいまって、なんだか懐かしい名作。
この映画で最も印象的だったのは、地平線まで広がるひまわりの畑です。
ソ連時代のウクライナ南部、ドニエプル川河口付近のヘルソン州で撮影されました。
ひまわりはウクライナを象徴する花で、7月頃から一斉に咲き誇る。
ひまわりは16世紀初頭に原産地の北アメリカ大陸からヨーロッパに持ち込まれ、
ロシアへは17世紀に入ってきました。ロマノフ王朝第8代ロシア皇帝エカテリーナ2世の時代に不凍港(黒海)を目指した南下政策の一環として、温暖なウクライナにひまわりの栽培が広がりました。
当時のウクライナでは、ロシア正教によって四旬節と呼ばれる40日間の断食期間が
定まられていました。
その期間中は食べ物には制限がかけられていましたが、その断食リストに新しい作物
だったひまわりが含まれて居いなかったため、代替食としてひまわりの種を食べる習慣が始まりました。
現代では、ウクライナは世界最大のひまわり生産国で、種から搾油したサンフラワーオイルは多くの国々に輸出されています。
ウクライナの土壌はチェルノーゼムと呼ばれる肥沃な黒土で、ひまわりのほか小麦や
トウモロコシ、砂糖の原料となるてんかん菜が主作物となっているんです。
そして今、ひまわりはウクライナの抵抗のシンボルになりました。
2月24日、ヘルソン州ヘニチェクスで、武装したロシア兵に地元の女性が詰め寄って
怒りをぶつけている動画は撮影されていました。
その女性は「オマエたちは占領者だ!ファシストだ!この銃で何をするの?
このひまわりをポケットに入れろ。オマエたちはいずれここで死ぬ。
そのあとにはひまわりの種が咲くだろう」、・・・
と、武器を持つ相手に一歩もひるまず、ひまわりの種で抵抗して、
そう言い放ったのだ。創造して欲しい。
死んだロシア兵のむくろが朽ち果ててチェルノーゼムに還り、
そこにウクライナを象徴するひまわりが咲き誇る姿を。
相手のロシア兵は何も言い返せず、困惑の表情を浮かべるのみでした。
悲劇が繰り返されるとするなか、はたして私たちは、同じ境遇に立たされたとき、
このウクライナの女性のように立ち振る舞う勇気はあるだろうか。
史上最も恐ろしい数学問題 「マクローリン級数を第n項で切ったときの剰余項」
史上最も恐ろしい数学問題
風雲急を告げるウクライナ情勢ですが、今から100年ほど前のウクライナも、
ロシア革命の余波で勃発したソビエト・ウクライナ戦争によって混乱状態に陥っていました。
歴史的悲願であった独立を果たしたウクライナ人民共和国軍とソビエト赤軍、ロシア白衛軍、ウクライナ革命蜂起軍(黒軍)、緑軍パルチザン、ポーランド軍が入り乱れて相争っていました。
今回の主人公であるロシア人数学者イーゴリ・タム(当時25歳)は、オデッサ大学で教鞭をとっていました。
彼は後に物理学者として大成功して、チェレンコフ効果を発見した功績で1958年に
ノーベル物理学賞を受賞することになる俊才です。
1920年2月、ウクライナの黒海沿岸にあるオデッサに、赤軍が白衛軍との戦闘に勝利しソビエト政権を樹立しました。
かつて、黒海の真珠、とうたわれていた美しい港湾都市でしたが、戦乱で破壊され、
飢饉に襲われつつありました。
8月某日、タムは食料を求めてオデッサ近郊の農村に出かけたところ、
アナキスト(無政府主義者)のネストル・マフノ率いるウクライナ革命蜂起軍(黒軍)
の部隊と遭遇する。その時、タムの服装が農村には場違いな都会人のそれであったため
赤軍の手先と疑われ、身柄を拘束されてしまいました。タムを尋問した部隊長は
もし本当に数学者なら マクローリン級数を第n項で切ったときの剰余工項 を答えてみろ。 正解できなければ銃殺だ。
と銃を突きつけてきた。恐怖に振るえながら何とか正解を導き出すと、
なるほどお前は本当に数学者のようだ。と納得し、釈放されたという。
これはタムの友人であった理論物理学者ジョージ・ガモフのち著者にある逸話。
この問題は高等数学でもかなり特殊な分野に属する問題で、正解をラグランジュの
形式で書くと、
F(X)=f(0)+f´(0)x+f"x2/2!+・・・f(n-1)(0)xnー1/(nー1)!+Rn(x)で、
Rn(x)=f(n)(ξ)xn/n! ただし0<=ξ<=x となる。
これはネット検索で見つけたもので、チンプンカンプン。
かくも絶体絶命の危機を切り抜けた数学者タムの面目躍如だが、この難問を
即座に出題し、正解と認めた部隊長はもっとすごい。
一体何者なのだろうか。
数学が苦手な人は 数学なんか勉強して実社会で一体何の役に立つのか と
疑問に思うかも知れないが、数学を知ることは論理的思考を身に付けることでもある。
数学とはロジック(論理)であって、記号を使って言いたい事を表す道具に過ぎず、
実社会に応用できてナンボの代物。
数学を応用すると、コピー用紙の縮小・拡大を平方根(√)で計算できる。
ゴミ箱にティッシュを投げる捨てるとき、二次関数y=ax2を使えば、
放物線の計算ができます。そして マクローリン級数を第n項で切ったときの剰余項
がわかると、赴任先の紛争地帯でゲリラに捕まっても助かるかもしれません。
どこで数学が役立つか、その時まで分からないものですね。