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2042年問題は大丈夫です,楽観論

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2042年、ある研究所機関の推計では高齢者人口が

3878万人に達してピークを迎えると試算されています。

これに対し勤労世代である20~64歳は2025年に比べ

て1345万人も少なくなり6000万人を切る。

働く人間1.7人が高齢者1人を支える計算になる。

これは単純に考えると土台無理な話であり、社会保障政策

は行き詰まりが懸念されている。更に日本が抱えている

借金も返済できなくなるかもしれない。

 

こうして日本から活力が失われていき25年後には暗い社会

が待っている。

各種の経済予測ではこのような悲観的な論調が主流である。

これを2042年問題と呼ぶらしい。

はたして日本経済はこのまま右肩下がりを続けていくのか。

このことは机上の計算通りに運ばないのが常。

不思議なことに世間ではあまりクローズアップされていないが

楽観論もあり、これはこれで説得力がある。

個人的には楽観論のほうに軍配が上がるような気がする。

 

人口増=経済成長、

人口減=経済停滞というのは思い込みにすぎない。

世界銀行などのデータでは人口増加率と経済成長率に

相関関係はない。人口が爆発的に増えながらも貧困から

脱することが出来ない国はいくらでもある。

日本では高度成長期(1954~1973年まで)の人口

の平均増加率はわずか1.12%に過ぎなかった。

にもかかわらず毎年のように10%近い平均経済成長率を

達成した。

このことからも相関関係がないことがわかる。

では、なぜ高度成長したのかというと生産性が向上したため

である。設備投資強化の繰り返しが大量生産・大量消費社会

を実現させた。

 

さて、2042年の生産性は向上しているのだろうか。

昨今の人工知能(AI)の進歩は目覚いものがある。

AIが人間の仕事を次々と奪っているのはまぎれもない

事実。

この動きは加速する一方だろうし、もう誰にもとめられる

ことは出来ない。25年後に生産性がどれほど向上するかは

推測できないが、目覚しい向上ぶりだということは否定できない。

 

そして個人金融資産を多く持つ人々が高齢化して買う側に

回ると、各企業の売り上げはが増える。周辺諸国の経済発展も

あるから日本の消費が少しぐらい停滞しても大丈夫。

そもそも労働人口が減るということは働く人のとって売り手

市場になるから給料は増えていく。

その頃には非正規労働者の賃金も正社員並みに近づくかも。

1ヶ月間みっちり働いても生活保護レベルの賃金しか貰えないような職場はなくなるのでは。

楽観論を要約すると以上の如くだが、こちらのほうが具体性がある。

25年後、自分はまだ生きている可能性が高い。

人口減少が吉と出るように期待している。

 

反対論

「2025年問題」という言葉が話題となっている。団塊世代が大病を患いやすい75歳以上となり、医療・介護費がかさむとの懸念である。

 
 だが、より深刻なのは2042年。国立社会保障・人口問題研究所の推計によれば、高齢者人口が3878万人でピークを迎える。これに対し、勤労世代である20~64歳は2025年に比べて1345万人も少ない。
 
 第3次ベビーブームは到来しなかったのに、団塊ジュニア世代が高齢者となるのだから当然だ。2042年以降も高齢化率は伸びるが、高齢者向け施策は人数が一番多くなる同年に合わせて対策を進めなくてはならない。社会コストは大きくなるだろう。小欄はこれを「2042年問題」と呼ぶ。

 「2042年問題」の厳しさは、貧しい高齢者が増えることにもある。就職氷河期と重なった団塊ジュニア世代には、思うような職に就けなかった人も多い。低年金や無年金者が増大するとの予測だ。昨今の未婚者が年を重ね、独居高齢者もさらに増える。
 
 現在、政府が進める社会保障・税一体改革の主眼は「2025年問題」対策だ。「2042年問題」を乗り切るための準備を開始しなければ間に合わなくなる。
 

急がれる2つの政策

 
 ただちに着手すべきは年金の支給開始年齢の引き上げと少子化対策だ。両政策とも相当の年月を要する。2042年までの「時間」はさほど残されているわけではない。
 
 支給開始年齢の引き上げとは、2042年時点の高齢者数を減らすのが目的だ。日本ほど高齢化が進むわけでない米国やドイツですら67歳、英国も68歳まで上げる。日本も避けるわけにはいかない。

 まず誤解を解き、議論を始めるだけで時間がかかりそうだ。対象は「将来の高齢者=若い世代」だが、構想が持ち上がるたびに高齢世代が反発して先送りされてきた。
 
 高齢者雇用の充実も必要だ。引き上げが決まったとしても即座に実行に移せるわけでない。人生設計に多大な影響を及ぼすため、何十年もかけて進めざるを得ない。
 
 一方、少子化対策2042年の勤労世代を増やそうというものだ。しかし、こちらも一足飛びには行かない。生まれた子供が成長して働き始めるのに、20年近くの年月が必要だからだ。
 
 政策で産みやすい環境を整えることができたとしても、最終的に結婚、出産するかどうかは国民の判断である。

 
 いまや日本の少子化は“危険水準”にある。厚生労働省の推計によれば、昨年の出生数は約100万1千人と過去最低を更新しそうだ。1千人程度の誤差は想定され、100万人を割り込んでいる可能性もある。政府が対策に乗り出したからといって、ただちに社会の雰囲気が変わるわけでもない。
 

出生率目標で機運を

 
 一方で、政府に変化が見え始めた。安倍政権が「地方創生」の名で人口減少対策に乗り出したことだ。昨年末に政府がまとめた「長期ビジョン」は、2020年の合計特殊出生率が1・6程度、2030年に1・8程度、2040年に人口が一定となる「2・07」を達成すれば、政府目標の「1億人程度維持」が実現するとの道筋も示した。
 
 これまで少子化対策が効果を上げなかったのは、戦時中の「産めよ殖やせよ」への国民の忌避感が強かったことが大きい。政治家や官僚は及び腰となり、子供が生まれてこない現状の打開が課題なのに、批判が出にくい子育て支援に比重が置かれてきた。
 
 政府は、今回も批判を懸念して「長期ビジョン」は目標値ではないとの立場をとっているが、「2042年問題」の解決に向けて、人口減少や少子化に歯止めをかけようという政府の変化を確かな流れにしていく必要がある。
 
 自治体には出生率や出生数の目標値を掲げているところが少なくない。国民にプレッシャーを与えてはならないが、数値目標のない政策の実効性が上がらないのも事実だ。ここまで出生数が下がった現状を考えたとき、政府としての出生率目標を掲げ、首相自ら国民的機運を高めていくことが求められる。
 
 これらの政策以上に重要なのは、2042年に社会の中心となっている現在の10代、20代が問題意識を持つこと。若き世代に「日本の未来」を考える機会をいかに提供していくのか。われわれは“時間との勝負”に負けるわけにはいかない。