リョウガのページ

小さな嬉しいことを発見する、今話題のことを思う

プロ野球開幕戦を観て 3密がなくなる世界を感じました

今日は日曜日。テレビでも観ようスイッチオン。

プロ野球の放送をやっていました。そういえばプロ野球開幕したんですね。無観客で。

これを観て思いました。

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盛り上がっているかーい!!

イエーイ!!

それじゃ、もう一曲、行ってみよー

 

かっ飛ばせー、〇〇!! カキーン

おおーっ!!やったー!!逆転 逆転!!

いやあ、いい当たりでしたねー とりあえず乾杯ですな

 

差せ、差せ、差せ、差してくれー

粘れ、粘れ、粘れ!!! 今ゴールイン!!

取りました? いえ・・・ お互いダメでしたか 笑い

 

実際、こんな時代錯誤のテンプレートな会話はないとおもいますが

どれも満員の ①アーチストのコンサート②プロ野球の球場③大レースの競馬場 なんかを思い浮かべてもらいたい。

なんやらずいぶん昔の光景のように思えたりしますが、つい数ヶ月前までの、ごく当たり前の一コマ。

連れたった友人知人だけでなくて、たまたま近くに居合わせた一期一会の他人とも、その瞬間瞬間を共有し、盛り上がれることの喜びは何物にも変えがたいですね。これが現場(ライブ)観戦の醍醐味。

ところが、この数ヶ月で環境は一変しました。少なくともしばらくは ”密集した空間で、みんなで盛り上がる” 行為が避けられることは間違いない情況。

大なり、小なり、イベントごとは当然「観客ありき」で作られるんですね。もちろん、収入といった実利的なものもありますが、クヲリティを高めるのに最も欠かせないものは、凝った舞台装置ではなく生の声援や反響が生み出す 「熱気」 だからです。

昨年、ラグビーワールドカップが開催されて、しっかりと覚えているのが、観客、選手との一体感 国歌斉唱です。各代表選手が、日本の観客に圧倒されて涙していたのを覚えています。

 

演者や選手が自分でも驚くほどのパフォーマンスを発揮するのは、日ごろの努力に加えて、観客の目であって、声であり、期待感だからであるから。 「皆さんの声援が力になりました」 のおなじみの言葉は、決してお世辞美辞麗句ではないでしょう。そうした姿が、見るものをさらに魅了し、相乗効果を生んでいく。

ここにきて、様々なイベントがソーシャルディスタンスを踏まえての再開に踏みだそうとしています。だけど、観客が一定の距離を取り、マスクを着用したまま声を出すのもはばかれるような雰囲気の中で、これまでのような楽しみ方がどれだけ出来るでしょうか。閑古鳥が鳴くような寂しい入りでは、現地観戦の目的の多くを占めている 「興奮」 「一体感」 は到底得られない (もちろん、静かで落ち着いて楽しめるとの意見もあるでしょうが)。

そこにいるものだけが価値観を共有する、いわば、共犯者的な感覚を得るには、今御法度の 「3密」 が切っても切り離せない。 「3蜜なくして盛り上がりなし」。そして、これは何もイベントやライブに限った話ではありません。 「密になってこそ生み出される何か」 は、普段の生活のそこらじゅうにあります。

改めて思うに、3密はブームやトレンドを生んで経済や文化を発展させるほかに、人間の心を豊かにしてきた行動原理の一つでもあったのです。あくまで個人的な考えですが、アフターコロナの世界とは 「孤独空間を生きいていく」 ことと同じ定義であると思います。