バンビーノの呪い
今から百年ほど前の1920年10月12日。
アメリカのプロ野球メジャーリーグでワールドシリーズが開催されました。
ナ・リーグのブルックリン・ロビンズが対戦し、インデアンズが初優勝を決めました。
また、この年はニューヨーク・ヤンキースに移籍したばかりの
ベーブ・ルースにも脚光が浴びせられた。
ベーブ・ルース(当時25歳、あだ名はバンビーノ)は、シーズン中に
ホームラン54本、打点137点、と驚異的な記録を打ち立てた。
メジャーリーグ全球団で、ベーブ・ルースの個人記録を超えたのは、
”選手全員” で合計64本となったフィラデルフィア・フィリーズのみであった。
当時のアメリカの野球界は、八百長のブラックソックス事件もあって人気が低迷していました。
ベーブ・ルースは豪快なホームランの連発でそれを払拭し、アメリカの国民的スポーツとして野球人気を高める事に貢献する。
そのベーブ・ルースがヤンキースと契約した年棒は、当時野球史上過去最高額の2万ドル。また移籍金も10万ドルとなるなど破格な待遇でした。ヤンキースは常にリーグ最下位にる弱小球団であったんですが、ベーブ・ルース獲得でワールドシリーズ優勝を狙っていき込んでいた。
一方、古巣のボストン・レッドソックスは、これまで16回中5回もワールドシリーズで優勝するような強豪であったが、実は経営難に苦しんでいました。
そのため、年棒の値上げを要求するベーブ・ルースを金銭トレードで放出せざるお得なかったのです。
その結果、目先の大金を惜しんでベーブ・ルース一人を放出したばかりにレッドソックスは優勝から縁遠くなって、「失敗トレード」として語り継がれることとなった。
これはワールドシリーズで勝てないというジンクス「バンビーノの呪い」となって、2004年に優勝するまで続きました。
経営が苦しいことを理由に、ここぞという好機に投資を惜しんだ強豪レッドソックスと、腹をくくって投資を決断した弱小ヤンキースと明暗がはっきりと分かれてしまった結果に。
ところで、日本プロ野球もシーズンオフに入って、熱いストーブリーグ(新戦力獲得合戦)が繰り広げられています。FA選手の去就に注目が集まる中で、中日の鉄腕エース、大野雄大選手はFA宣言せずチーム残留を表明しました。
報道によると、財政基盤が弱い中日は3年契約総額9億円を借金までして捻出しようとしたらいんです。8年ぶりにAクラス入りした中日は、この勢いで是が非でも優勝を手に入れたいはず。
その熱意が大野選手にも伝わったに違いない。10完投6完封の快挙で沢村賞を初受賞した逸材で、中日がレッドソックスの轍を踏むことはなさそうですね。
ちなみに、私は中日ファンではありませんけどね。・・・