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会社の忠誠心に対する新たな前提

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会社の命は永遠です。その永遠のために、私たちは奉仕すべきです。私たちのわずか20年から30年、でも会社の生命は永遠です。それを守るために、男として堂々とあるべきです。今日の疑惑、会社のイメージダウン。本当に申し訳なく思っています。責任取ります。

アル商社マンが1980年、疑獄事件の渦中にこのような遺書を書き、自らの命を絶った。

 

痛々しいまでの企業忠誠心。これがずっと、日本のサラリーマン社会の基盤だった。会社側も、それに応えて社員を守ってきた。会社は運命共同体見たいなもので、みんなが揃って幸せになるという前提があったからです。そして、不祥事が起きたときには、徹底して身内をかばってきたのです。それが、世間の常識とかけ離れていたとしても、「村の仲間」を守ることが最優先された。

 

さらに、日本は昔から、頭が責任を取る美学が存在した。おみこしに乗るだけで無能呼ばわりされていた上司でも、最後に腹だけは切った。部下たちはその一点で、上司を信じていた。87年の東芝機械ココム規制違反で、親会社である東芝の経営者が「世間を騒がせた」と引責辞任した。「あのやり方では世界に理解されない」という批判もあったが、いざという時は村長が責任を取るという日本的な共同体意識の表れだったことも確かだ。

 

ところが、バブル崩壊後、忠誠心の喪失は加速している。それは、終身雇用が破られたことに加え、経営者が徳目を喪失してしまったからだ。不祥事が起きても、「私は聞いていなかった」と責任を部下に押し付ける経営者が珍しくなくなった。彼らは、アメリカ型経営の変なところだけを取り入れてしまったのかもしれない。

 

「最後には腹を切る将」という日本企業の最後の要が崩れてしまった今、冒頭のような遺書を残して自らの命を会社に捧げる、忠誠心たくましいサラリーマンが何人いるだろう。そんな組織で部下に忠誠心を持てということ自体、無理だ。

 

今後、日本企業ではアメリカ型経営者が浸透していくに違いない。新たな前提は、「社員は会社のために尽くす」のえはなく、「社員は自分のために働く」というものだ。だから、今、そのルール作りの必要性が叫ばれているのではないでしょうか。