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知っている人は知っているMMT(現代貨幣理論)

その昔、買い物と言えば必要なものを求めて店を何軒ももわるのが定番で、店では対面販売方式。だれもが何一つ疑うことなくそうすることが日常生活の風景だった。米国の雑貨店で働いていたカレンという人があるとき、上司に進言した。このようなちまちまとした売り方よりも、もっと効率的なやり方をしたらどうかと。色々の商品を大量に仕入れて、ひとまとめにして店舗に陳列し、セルフサービス方式を採用する。こうすることで商品を低価格で提供できることになる。

ところが上司は、セルフ方式はお客様に迷惑がかかるとして、この提案を一蹴した。今も昔も常識にとらわれない斬新なアイデアは異端視されて嫌われる。カレンは結局、自分のアイデアを実践するために独立して起業した。スーパーマーケットが誕生した瞬間である。時は1930年、カレンのスーパーは世界経済をどん底に突き落とした大恐慌にあえいでいた庶民の心をしっかりととらえて、大ブレークした。それから90年近く経過した現在も、この店は庶民の支持を得ている。常識を疑い、物事を逆から見ることにより、活路を見出すことができる。

知っている人は知っているMMT(現代貨幣理論)。これは近頃ちょっとした話題になっている経済理論の新しい考えのこと。提唱したのは米国の経済学者。

その概要は、

・自国通貨を発行して借金できる国の財政は破たんしない。

・従って、財政再建のために政府支出を減らしたり税や保険料の国民負担を増やさずとも、借金(主に国債)で費用をまかねばいい。

・単に財政赤字を減らそうとするだけでは景気が悪化する。

・その結果、財政赤字は期待するほど減らない。

・インフレにさえ注意すればうまく回っていき、経済は停滞から脱出できる。

もちろん、主流派学者からは異端視されて強く批判される。

ところが世論の支持は徐々に高まっている。それは、はからずしも日本がばっちりと当てはまるからだ。個人やり放題に借金を重ねたらどうなるか。いずれ破産するのは常識である。ところが国家の場合は、この常識が通用しないようだ。家計と財政は根本が違う。国債の発行残高は900兆円に達しそうなのに、もとより先進国の自国通貨建て国債のデフォルトはあり得ない、というのは財務省も以前から言っている。そして、一向にインフレにならず、デフレ脱却への道筋が見えない。

日本の現状はMMT理論にかなっているかもしれない。この理論が正しければ、消費増税は不要と言うことになりますね。

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今、アメリカで大論争中の「現代貨幣理論(MMT)」をご存じだろうか。「財政は赤字が正常で黒字のほうが異常、むしろ、どんどん財政拡大すべき」という、これまでの常識を覆すような理論である。
この理論にアメリカ民主党29歳の新星で、将来の女性初大統領ともいわれているオカシオコルテス下院議員が支持を表明したことで、世論を喚起する大きな話題となっている。これに対しノーベル経済学賞受賞の経済学者クルーグマン、元財務長官のサマーズ、FRBのパウエル議長、著名投資家のバフェットらがこぞって批判。日銀の黒田総裁も否定的なコメントを出している。
 

ガリレオが地動説を唱えたとき、あるいはダーウィンが進化論を唱えたとき、学界や社会の主流派は、その異端の新説に戸惑い、怒り、恐れた。そして、攻撃を加え、排除しようとした。

しかし、正しかったのは、主流派に攻撃された少数派・異端派のほうだった。

このような科学の歴史について、トーマス・クーンは次のように論じた。

科学者は、通常、支配的な「パラダイム」(特定の科学者の集団が採用する理論・法則や方法論の体系)に忠実にしたがって研究している。科学者の間の論争はあるが、それも、このパラダイムの枠内で行われているにすぎない。パラダイムから逸脱するような理論は「科学」とはみなされずに、無視されたり、排除されたりするのである。

このため、仮にパラダイムでは説明できない「変則事例」が現れても、科学者たちは、その変則事例を深刻には受け止めない。相変わらず、パラダイムを無批判に信じ続けるのだ。

ところが、そのうちに、支配的なパラダイムに対する信頼を揺るがすような深刻な「変則事例」が現れる。こうなると、科学に「危機」が訪れる。科学者たちは根本的な哲学論争を始め、支配的なパラダイムを公然と批判する者も現れ、学界は混乱に陥る。

そのうちに、より整合的な説明ができる新たなパラダイムが提案され、やがて従来のパラダイムにとって代わる。地動説や進化論もまた、そうやって現れた新たなパラダイムの例である。

クーンが明らかにしたのは、どの科学が正しいかは、合理的な論証によって判断されるとは限らないということである。科学者の判断は、科学者個人の主観や社会環境など、必ずしも合理的とは言えないさまざまな要因によって左右されるのだ。

これは、地動説や進化論が弾圧された時代に限った話ではない。現代でも当てはまる。

近年の神経科学の実証研究によれば、人間の脳には、所属する集団のコンセンサスに同調するように自動的に調整するメカニズムがあるという。どうやら、われわれの脳は、主流派の見解からの逸脱を「罰」と感じるらしいのだ。

クルーグマン、サマーズ、バフェット、黒田総裁の批判

今まさに、クーンの言う「パラダイム」の危機が、経済学の分野で起きつつある。アメリカで巻き起こっている「現代貨幣理論(MMT)」をめぐる大論争が、それだ。

主流派経済学のパラダイムでは、財政赤字は基本的には望ましくないとされている。財政赤字の一時的・例外的な拡大の必要性を認める経済学者はいるものの、中長期的には健全財政を目指すべきだというのが、主流派経済学のコンセンサスなのである。

ところが、この健全財政のコンセンサスを、「現代貨幣理論」は否定したのだ。

このため、クルーグマン、サマーズ、ロゴフといった影響力のある主流派経済学者、アメリ連邦準備制度理事会FRB)のパウエル議長、あるいはフィンクやバフェットといった著名投資家ら、そうそうたる面々が現代貨幣理論を批判している。

その言葉使いも異様に激しい。クルーグマンは「支離滅裂」、サマーズは「ブードゥー経済学」、ロゴフは「ナンセンス」、フィンクにいたっては「クズ」と一蹴している。

日本でも、黒田日銀総裁が記者会見(3月15日)において現代貨幣理論について問われると、「必ずしも整合的に体系化された理論ではない」という認識を示したうえで、「財政赤字や債務残高を考慮しないという考え方は、極端な主張だ」と答えている。

しかし、現代貨幣理論は、クナップ、ケインズシュンペーター、ラーナー、ミンスキーといった偉大な先駆者の業績の上に成立した「整合的に体系化された理論」なのである。

にもかかわらず、黒田総裁が「必ずしも整合的に体系化された理論ではない」と感じるのは、それが主流派経済学とはパラダイムが違うからにほかならない。

ここで、「現代貨幣理論」のポイントの一部をごく簡単に説明しよう(参考:スティーブン・へイル「解説:MMTとは何か」)。

まず、政府は、「通貨」の単位(例えば、円、ドル、ポンドなど)を決めることができる。そして、政府(と中央銀行)は、その決められた単位の通貨を発行する権限を持つ。

次に、政府は国民に対して、その通貨によって納税する義務を課す。すると、その通貨は、納税手段としての価値を持つので、取引や貯蓄の手段としても使われるようになる(紙切れにすぎないお札が、お金としての価値を持って使われるのは、そのためである)。

さて、日本、アメリカ、イギリスのように、政府が通貨発行権を有する国は、自国通貨建てで発行した国債に関して、返済する意思がある限り、返済できなくなるということはない。

例えば、日本は、GDP国内総生産)比の政府債務残高がおよそ240%であり、先進国中「最悪」の水準にあるとされる。にもかかわらず、日本が財政破綻することはありえない。日本政府には通貨発行権があり、発行する国債はすべて自国通貨建てだからだ。

政府債務残高の大きさを見て財政破綻を懸念する議論は、政府の債務を、家計や企業の債務のようにみなす初歩的な誤解に基づいている。

政府は、家計や企業と違って、自国通貨を発行して債務を返済できるのだ。したがって、政府は、財源の制約なく、いくらでも支出できる。

ただし、政府が支出を野放図に拡大すると、いずれ需要過剰(供給不足)となって、インフレが止まらなくなってしまう。

このため、政府は、インフレがいきすぎないように、財政支出を抑制しなければならない。言い換えれば、高インフレではない限り、財政支出はいくらでも拡大できるということだ。

つまり、政府の財政支出の制約となるのは、インフレ率なのである。

ちなみに、日本は、高インフレどころか、長期にわたってデフレである。したがって、日本には、財政支出の制約はない。デフレを脱却するまで、いくらでも財政支出を拡大できるし、すべきなのだ。

物価調整手段としての「課税」と「最後の雇い手」政策

さて、国家財政に財源という制約がないということは、課税によって財源を確保する必要はないということを意味する。

アメリカでの現代貨幣理論の流行を紹介した日本経済新聞の記事は、この理論の支持者が「政府の借金は将来国民に増税して返せばよい」と主張していると書いているが、これは誤解である。現代貨幣理論によれば、政府の借金を税で返済する必要すらないのだ

だが、現代貨幣理論は、無税国家が可能だと主張しているわけではない。

そもそも、現代貨幣理論の根幹にあるのは、通貨の価値は課税によって担保されているという議論だ。

また、もし一切の課税を廃止すると、需要過剰になって、インフレが昂進してしまうであろう。そこで、高インフレを抑制するために、課税が必要となる。

また、格差是正のための累進所得税、あるいは地球温暖化対策のための炭素税など、政策誘導のためにも課税は有効である。要するに、課税は、財源確保の手段ではなく、物価調整や資源再配分の手段なのである。

さらに言えば、現代貨幣理論は、物価調整の手段として、課税以外にも、「就労保障プログラム」あるいは「最後の雇い手」と呼ばれる政策を提案している。これは、簡単に言えば、「公的部門が社会的に許容可能な最低賃金で、希望する労働者を雇用し、働く場を与える」という政策である。

就労保障プログラムは、不況時においては、失業者に雇用機会を与え、賃金の下落を阻止し、完全雇用を達成することができる。逆に、好況時においては、民間企業は、就労保障プログラムから労働者を採用することで、インフレ圧力を緩和する。

こうして就労保障プログラムは、雇用のバッファーとして機能する。政府は、同プログラムに対する財政支出を好況時には減らし、不況時には増やすことで、景気変動を安定化させる。不況時には確かに財政赤字が拡大するが、低インフレ下では、財政赤字はもとより問題にはならない。

こうして、就労保障プログラムは、物価を安定させつつ、完全雇用を可能にするのである。

現代貨幣理論を理解していない批判

以上は、現代貨幣理論の一部にすぎない。

しかし、これを踏まえただけでも、主流派の経済学者たちや政策担当者たちの批判が、いかに的を外れたものであるかがわかるようになるだろう。

例えば、パウエルFRB議長は「自国通貨建てで借り入れができる国は財政赤字を心配しなくてよいという考え方は間違いだ」と断定し、黒田日銀総裁も「財政赤字や債務残高を考慮しないという考え方は、極端な主張」と述べた。サマーズも、財政赤字は一定限度を超えるとハイパーインフレを招くと批判する。

しかし、読者はもうおわかりだと思うが、これらはいずれも、まともな批判になっていない。

現代貨幣理論は、「財政赤字の大小はインフレ率で判断すべきだ」という理論である。ハイパーインフレになっても財政赤字を心配しなくてよいなどという主張はしていない。それどころか、インフレを抑制する政策について提言している。

要するに、批判者たちは、現代貨幣理論を理解していないということだ。いや、そもそも、知ろうとすらしていない節すらある。

なぜ、そのような態度をとるのか。それは、彼らが、現代貨幣理論のことを、主流派経済学のパラダイムに属していないという理由によって、まともに取り扱うべき経済学と見なしていないからであろう。

パラダイムが変わるのが怖い主流派経済学者たち

しかしながら、その一方で、リーマン・ショックのように、主流派経済学のパラダイムに対する信頼を揺るがすような「変則事例」が起きている。それについては、主流派経済学者たち自身も認めつつある。主流派経済学者の予想に反して財政破綻しない日本も「変則事例」の1つであろう。

主流派経済学は、まさにクーンが言うパラダイムの「危機」に直面しているのだ。だからこそ、主流派経済学者たちは、現代貨幣理論の台頭が気になり、躍起になって批判しているのである。パラダイムが変わるのが怖いのだ。

だが、かつて、物理学のパラダイムを一変させたアインシュタインが言ったように、「問題を生じさせたときと同じ考え方によっては、その問題を解決することはできない」

現下の経済問題を解決するためには、経済学のパラダイムから変えなければならないのだ。