リョウガのページ

小さな嬉しいことを発見する、今話題のことを思う

時代は移り変わるもの。手袋はいかが・・・

思えば師走、街はクリスマス商戦一色に染まり、百貨店、衣料品店、雑貨店には手袋が並ぶ。
恋人へのクリスマスプレゼントに手袋を贈る若者は今も多い。

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いまでは「うどん県」として知られる香川県であるが、同県は日本一の手袋産地であり、香川県東部かがわ市は
国産手袋の90%以上のシェアを持つ。
どうしてこの地に手袋産業が根付いたのか?


そこにはドラマがある。

明治19年、白鳥村(現在の香川県東かがわ市)にる千光寺の僧侶・舜礼(しゅんれい)は、
寺の近所に住む19歳の明石タケノと恋に落ちた。


しかし、当時の社会は身分が違えば結婚できなかった時代、
やがて二人は大阪へと駆け落ちした。


生活費を稼ぐため舜礼は托鉢にまわり、恋人タケノは近所でやっていたメリヤス製品の賃縫いをはじめた。


しばらくして、舜礼はこのメリヤス製品に着目し、托鉢をやめてメリヤス手袋の製造に専念することになった。

その後、僧侶舜礼の死を契機に香川の地に戻ったタケノらの手で手袋工場が創業された。


着実に地域に定着する中、第一次世界大戦が特需となり、産業として地域基盤が確立。


戦後は、世界一m¥の産地であったアメリカを抜き、東かがわが世界一の手袋生産地となった。

しかし平成期、他の日本の繊維生産地と同じく、生産拠点の海外移転により生産現場は縮小した。


東かがわの会社から手袋が全国い出荷される構図は30年前と変わらない。
だが、その8割以上は海外産になった。
生産現場では仕事量の絶対的減少から会社が減り、職人の高齢化が進んだ。

平成26年、東かがわ市では新ブランド「香川手袋」が誕生、手袋産地としての知名度を高め、
作り手の環境を整えながら高度なモノづくりを次代につなげることを目指す。


となりの愛媛県では「今治タオル」のブランド化に成功した。
「香川手袋」の認知度はまだまだ低いが、面白い商品が話題になれば風向きは変わるだろう。

雑貨店の店頭で人差し指と親指の指先に導電糸の刺繍を施してある手袋を探した。
スマホのタッチパネルは手指から発する微弱な電流を感知し動作する。
野外で手袋をしたままパネル操作が可能だ。
スマホの流通とともに生まれたこの商品も世界に広がった。
新しいモノづくりが産地を未来につなげる。

時代は移り変わるもの。