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年始に人生の句読点

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文化庁が公文書の読点に使われている 「 , 」(コンマ)の見直しを検討している。

一般会社では広く、「、」(テン)が使われているが、公文書では1952年に通知されてルールで未だに「, 」が使用されている。

パソコンの日本語入力のソフトの基本設定が「、」であることから公文書でも「、」を使う公的機関が増えつつあり、一般会社とかけ離れたルールはお役所文化の典型とやゆされ、見直しが進められている。

なお句点「。」(マル)は当初、「.」(ピリオド)も検討されたが、見やすさから「。」に決められたという。

句読点は文章が読みやすいようにともちいられているが、そうではないものも少なからずある。

手紙や挨拶文など古来、句読点を除いて書かれていた伝統が残されている。俳句や短歌、賞状も句読点は使わない。

また疑問符「?」や感嘆符「!」の後ろに句点はつけないし、メールの文章では絵文字や顔文字が使われることもあるが、その場合、句読点は省略される。いずれにしても「、」「.」どちらでもいいが、通常の文章では句読点がないと読みにくいだけではなく、意味がわからなくなる。

「人生は 〟長い文章〟である」と言った人がいる。日々同じような繰り返しを続けていることが多い。そんな中で「時には自分の意志とは異なる句読点を打たされることもあるが、自分自身で打ちたいと思う時は少なからずある」と言う。

句読点を打ちたいと思うのは、人の成長とともにたどる、入学、卒業、就職、結婚、昇進あるいは転職、また毎年の誕生日など、その時々に「。」を打って区切りをつける場合や「、」を打ち次につなげる。

そして誰もが句読点を打つのは1年の終わりではないか。

年末には今年の区切りをつけるかのように句読点を打ち、次の年を迎える。

しかし句読点の打ち方も誤ると、意味の分からない文章になってしまう。人生も句読点の位置を間違えると、あいまいなまま時を過ごすことに成りかねない。

ある禅僧は「句読点の打ち方が文章の良し悪しを左右してしまう。となると人生の文章も句読点の打ち方が肝要」と話し「人生の文脈に正しく句読点を打つことでメリハリの効いた人生を送ることが出来る」と教える。

今年もはじまったばかりですが、この1年、に去年にやり残したことが多く、年末に「、」しか打てず、今年に持ち越しとなったこと事を嘆くことなく、「。」や絵文字が打てるように締めくくりたいものである。