リョウガのページ

小さな嬉しいことを発見する、今話題のことを思う

昔見た「花には水を、妻には愛を!」を思い出す

こんばんは。

私は、冴えないサラリーマンです。

サラリーマンには転勤がつきもので、私は若い頃は、東京支店に勤務していました。ちなみに本社は大阪です。その間に結婚したこともあって、忘れられない支店です。

転勤辞令をもらい出勤した初日。支店近くの駅を出ると、近くに生命保険会社の巨大な建物が目に入った。屋上からは1階にまで届くような大きな垂れ幕。 「花には水を、妻には愛を!」、 それはある保険商品の標語でした。私はビックリしました。

 

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東京支店には6年余り通勤しましたが、その間毎日、 「花には水を、妻には愛を!」 の垂れ幕を見ていました。

結婚したとき、妻にその標語のことを話しました。妻はそれを聞いて笑っていましたが、私としては 「花には水をやるように・・・」 という決意表明のつもりでした。

以来、数十年、夫婦間、親子間、あるいは友人の間でも、 「花に水をやるように」 対話するよう、心がけてきたつもりです。時には喧嘩しているときもありましたが・・・。

新約聖書(ペテロの手紙第一)には 「夫たちよ、妻を自分よりも弱いものだとわきまえて生活を共にし、命の恵みを共に受け継ぐものとして尊敬しなさい。 ・・・皆心を一つに、同情し合い、兄弟を愛し、あわれみ深く、謙虚になりなさい」 「命を愛し、幸せな日々を過ごした人は、舌を制して、悪を言わず、唇を閉じて、偽りを語らず、悪から遠ざかり、善を行い、平和を願って、これを追い求めよ」 とあります。

私は、立教大学の校歌「栄光の立教」の2番の歌詞が好きです。(私は立教卒業生ではありません) 「愛の魂正義の心、朝に夕べに鍛えつ錬りつ、邦家に捧ぐる我等が母校・・・」。愛情や心は朝夕つねに心がけて鍛錬していかなくてはならない、それこそ毎日 「花に水をやるように、大地をひからびさせないように」と思う、これは上記ぺテロの手紙に通ずるものがあります。

今になって改めてわかるのは、私は妻や家族に水をあげていたつもりだったのだが、実は妻から毎日水をもらっていた、ということでした。

そして両親や子供たちや友人たちからも、同じようにたくさんの水をもらってきていた。本当にありがとうと思えることで (新約聖書のように 「妻が自分よりも弱いもの」だとはあまり思えないけれど・・・)。

今回のコロナ自粛、そして三密回避によって、家族や友人とも(物理的)距離をとらねばならないことが、とてもつらい。

早くコロナが終息して、斜めではなく、ましてや画面越しでもなく、距離を置かずに対面で、目を合わせながら、心置きなく会話や食事を楽しめるときを、と願っています。

ちなみに私の母校の校歌は、「若きこの身に、つきせぬ夢はぐくみ、神の道、真理、命の教えを受けん・・・こだまする正義の叫び我が母校・・・」